8月15日2010/08/17 12:33

 8月15日は65回目の終戦記念日だった。
この日の前後マスコミでは戦争の話題が増える。
 今までになくラジオ、TV、新聞などで戦争の話を多く聞いた。

 終戦時私は国民学校の二年生だった。
8月14日未明、30キロほど離れた秋田八橋油田が空襲にあい、空が真っ赤に染まっているのを見た。
 学校では毎日避難訓練があった。
灯火管制や、夜中に空襲警報に起こされることはたびたびあった。
 だが、幼かったためか戦争の悲惨な思い出は持っていない。

 今年はラジオやTVで、沖縄のこと、戦地のこと、空襲のこと、原爆のことなど聞いて自分がいかに戦争のことを知らず、考えることもなく過ごしていたかに気付いた。

 終戦後 村には遠い親せきを頼って外地から引き揚げてきた家族が数軒あった。
 暗い土蔵や、朽ちた空き家に住んでいた。
村の子供たちはよそ者として接し、中にはあからさまにからかうものもいた。
 そんな時私はただ傍観していた。

 大人になって中国から帰還した元兵士の話を聞いたことがある。
ストーブを囲んでの雑談の中だったが、とても口には出せないむごい内容だった。
「法に照らしたら ほとんどの法を犯した。放火、強盗、強姦・・・酷いもんだった」
 その人は自分が加わらなかったから自慢話のように笑って話せたのだろうか。

 村にあっては純朴な一農民だった人が、不条理に疑問を持つことさえ許さないのが戦争の狂気なのだろう。

 今、政局は不安定で、国は何処に向かおうとしているのかわからない。

 世の中が悪い、政治が悪いと言っても始まらない。
一人で出来ることは 選挙の投票くらいだ。

 一人ひとりが流されることのない 「自分の考え」を持つことの大切さを思う65回目の夏である。

コメント

_ たらのめめ ― 2010/08/19 16:11

父の自分史に仙台空襲の体験が載っていて、読み進めると信じられないような光景が浮かんできます。
それらを乗り越えて今があるはずなのに、65年も経ると、何だかその場しのぎの世の中になっていてだんだんとひずみが大きくなっているようです・・・

母も戦争で人生がすっかり変わってしまったひとり。
もし戦争がなかったら私も生まれていなかったでしょうね。

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