終戦記念日2017/08/15 21:36

 今朝の地元紙の一面の見出しは「夏はどこへ」と大きく書かれている。
8月2日に梅雨明けが発表されて以来梅雨のようなじめじめした日が続き
 低温、日照不足で農作物への懸念も出てきた。
 今日も22度と長袖が欲しい気温だ。
 

 今日は終戦から72年目の終戦記念日だ。
 
                     

 この写真は前にもアップしたことがあるが
72年前、私が国民学校初等科2年の時のものだ。

  北国の小さな農村で戦争の何たるかも知らぬまま
毎朝朝礼で話される「日本は必ず勝つのです」という校長先生の言葉を
そのまま鵜呑みにしていた。
 
 代用教員として 同じ学校で教鞭をとっていた長姉は後に
小さな一年生が 校庭で防空演習をするのが可哀そうだったと話したことがある。
 
 あまりに幼くて戦争の悲惨さを感じることもなかったが
この写真を見ていると、自分たちは戦後の貧しい時代を歩いてきたのだと
切ない気持ちになる。
 
 豊かな時代にはなったけれど、今、あの頃の戦争とは格段に違うバケモノ戦争への
動きが進んでいるような気配だ。
 
 戦争は絶対してはならない。
 戦後72年、辛酸をなめて築いた平和を失くしてはならない。
 
  声を大にして訴えたいけれど婆には体力も上手に伝える知恵もない。
 私に出来るのは選挙の投票だけである。
 棄権しないこと。 戦争への道を歩みそうな政党に投票しないこと。
 
 今年の終戦記念日は特に平和への願いを強くしている。


写真
 (女先生の隣がばあです) 

同期会での「えっ!!」2017/08/07 22:12

先の同期会の記念写真を時折取り出しては眺めている。

○子(さん)は羨ましいほどの記憶力で私の姉兄妹の七人の名前をすらすらと言った。
育った集落が違っているのに 我が家のことだけでなく
誰のことでもあの小路を入って三軒目とか詳しく覚えていて驚いた。
同じ80歳でもしっかりして凄いなあと感心した。

80歳の同期会にはさすがに恩師の姿はなかった。

○男先生(担任)の安否が話題になった。
 ○子(さん)が「中学校の帰りの掃除をしていたとき、 eチャンがふざけて踊りながら○男先生の真似をしていたら先生が後ろに立っていた事があったね」というので
「エ,エッ!! あのことまでも覚えているんだ!!!!」とビックリ。

確かに私は悪ふざけをして先生に見られ間の悪い思いをした。
私にとっては忘れたくても忘れられない恥ずかしい思い出だ。

 もう一つの「エ,エッ!!」は△男(さん)に言われた「ブログをずっと見てるよ」の言葉。
ブログのことを△男(さん)に言った記憶がないが何かのはずみで言ったのだろう。

 家も割合近く小学校からの同級生で、同級生ではあるけれど皆のオヤジサンみたいな懐の大きい人だ。

何年か前の同期会で部屋に戻ってからの女子のおしゃべりの中で
△男(さん)の荒げた声を聞いたことがない、怒ることがない不思議な人だという話になったことがある。

  皆の言うことを黙って聞いていて 最後にぼそぼそと△男(さん)がいうと一同納得できた。

ハナを垂らしていたころからの同級生で今更恥ずかしいもないのだが
ネットの匿名性をいいことに、公道を裸で歩いているような恥知らずは否めない。

背中がもぞもぞする恥ずかしさはあるが 読んでもらえているならうれしいとも思う。

何年も音信不通でも一枚の案内状であちこちから集い、遭うと昔の愛称で呼びあい一つになれる。ビバ!同期生である。

「空海と、高野山の至宝」展2017/08/01 20:17

  七月はあたふたとして過ぎたような気がする。
小学生と同じで宿題を後回しにして遊び惚けるから忙しくなる。

 八月はお盆もあるし祭もある。
 7月以上に行事はある。これからの日々は暑さも厳しいだろう。

 今日は時折細かい雨も降って最高気温も25度と凌ぎやすかった。

 で、やっぱりいつもの通りでお盆が迫らないうちに
遊びの方を済ましておこうと仙台市博物館に出かけた。

 「空海と高野山の至宝」展が開かれている。

 前期が7/1からで今日から後期、前期は見逃した。
 運慶作「八大童子立像」など国宝級の仏像や空海の書を観てきた。

 この展覧会は東日本大震災からの復興を願い、催された特別展という。

 夏休みのせいか女学生の集団がいたり、年配の人が大声で
話していたりして雰囲気としては少し残念だった。

偶然2017/07/30 17:05

 昨日は団地の夏祭りだった。
夏祭りの月に当番が回ってくることもなかったので
十年近く会場に行くこともなかった。

 四時ごろ△さんの奥様が見えてのど自慢に出るので見に来てとのことで始まる5時ころ会場に行った。

 校庭に櫓を組んで舞台をしつらえてあったが時々雨が落ちている
生憎のお天気、急遽体育館に変更になり大変な混みようだった。

 △さんは同郷で私より6年ほど若い、 少年時代のことを知っている。
その△さんが5分くらいの同じ団地に住んでいると知ったのは
、絵の仲間が雑談の中でご近所の△さんのことを話したとき
姓が私の村の一部に多い姓だったことから 私の知っている△さんと分かったのだった。

 のど自慢に出られると聞いて何をなさるのかすぐ分かった。
△さんはいい声を持っていて 奥様は手話をされる。
 東日本大震災の後も すぐに仮設住宅や避難所をお二人で回られていた。

 開演まで少し時間があった。
 空いている隣の席に来たのがなんとサロンの仲間、ご主人と一緒だった。
 さらに驚いたのが △さんの応援に来たのだという。

 △さんは「ふるさと」を歌われ奥様は手話を使い体全体でしなやかに踊られた。
心にしみこむ感動的なものだった。 

 結果、 お二人は優勝したのだった。

 よかった、よかった!!!  なんだか誇らしい気持ちになった。

 人のつながりは ふとした偶然から生まれるものなのだなあと思った

最後の同期会2017/07/24 18:30



 私が通っていたころの小・中学校は村立だった。
その学校で9年間過ごした仲間が「80歳傘寿の祝い」を計画してくれた。
 最後の同期会というので参加した。
卒業120名中21名の出席であった。

 物故者の欄があった。
 37名載っていた。
 出席者より多い名前を一人一人なぞりながら80歳という年、自分の今立っている位置を改めて考えさせられた。
 はるばる歩いてきたものだなあと思う。

 終戦が小学二年の夏。物のない時代に育った私たち。

 数十年ぶりに会って、瞬間は分からなくてもじっと見つめていると
お爺ちゃん,お婆ちゃんの顔の中から 懐かしい顔が浮かんでくる不思議。

 愛称も自然に出て長い年月を飛び越えて昔の仲間に戻ってしまう。

 宴会は9時まで続き、部屋でも深夜までのおしゃべりだった。

 80年の中で名を成した人、幼少の頃と雰囲気の変わった人、それぞれの道があったのだろう。

 自分では足腰だけは自慢できると思っていたが同級生のパワーには圧倒された。

 皆のために同期会を開いてくださった幹事の皆さんに感謝。

 「最後の同期会」は寂しいからオリンピックが終わった年に又会いましょうと約束して別れた。

またまた物忘れ2017/07/09 22:31

今日は日曜日、33度と暑い日だった。
どこへも出ず家でダラダラ過ごした。

一週間前の日曜日も32度と暑い日だった。

毎日がサンデーの年寄りは外出をしない方がいいのだが
先週は○さんと街に出て「日本水彩画展・宮城水彩画展」を見た。
290点の大作を見て回るのは体力が要るが
 知っている人が数人出品していたので行ってみたかった。

人出の多い日曜の暑い日あえて出かけたのは訳がある。

高齢者ドライバーの事故が多いことから、後期高齢者ドライバー
は 適性検査を受けることになったそうで ○さんの受験日は火曜日、今からドキドキしているから受験の前日は空けておきたいとのことで絵を見るのは日曜日にしたのだった。

昨日は土曜日、○さんの車に乗せてもらって囲碁に行く途中
試験はパスしたと知った。
15点の絵を見せて時間をおいてから何があったかの記憶を試すものなど 案ずるより・・・で難しいものではなかったそうだ。

よかった、よかった。

というのは絵を見ての帰り、
バスを降りて歩いていたとき、南天が植えられているところを通った。
「この木」と言って二人とも黙った。なぜか名前が出てこなかったのである。
なんだっけ?と言いながら歩いているとラベンダーが見事に咲いている家の前を通った。
「この花」と言って二人はまたも黙った。
「物忘れ」には慣れている私もダブルパンチはショックだった。

○さんと別れて家に入った途端、「なんてん」は思い出した。

ラベンダーを思い出そうとするとフリージアが出てきた。
五十音をアから呟いてようやく「ラベンダー」を思い出したのだった^^;;;

 ○さんは5歳私より若いし物忘れもないしっかり者。テストは無事済ませたかなと内心でとは言え、失礼な心配をしたものだ ^^;;;;;;

待合室で2017/06/30 16:34

 内科の一人分だけ空いている椅子に掛けた。
隣は男性でその隣がおばあちゃん、その隣には年配女性。

 おばあちゃんがよく通る声で男性にお話している。
聞くとはなしに聞いてしまった 話^^;;;  (←盗聴)

 隣の男性は病院での顔見知り関係。女性はおばあちゃんの娘さんだった。

 おばあちゃんは96歳でひ孫が10人もいるとはなしていた。
と、娘さんが「10人はいないでしょう」と異議を申し ○子に○人、▽子に▽人・・・と数え始めて 8人しかいないよ。おばあちゃん孫とゴッチャにしたんでしょう。と言ったら
そうかもね。とおばあちゃんは素直に引き下がった。

 おばあちゃんの話から現在は娘一家の近くにあるケアハウスに住んでいる。
 仲間が30人ほどで、そこは自分のことは自分でできる人だけが入居している。
 ハウスでの暮らしを楽しそうに話していた。

 順番が来ておばあちゃんの名前がアナウンスされた。
するとおばあちゃんは立ち上がって視察室に一人で入って行った。
 娘さんは椅子に腰かけたままだった@@!!

 診察を終えたおばあちゃんがニコニコして出てきて
「いつもの通りだったよ」と言った。

 96歳のスーパーおばあちゃん。

 娘さんとの関係もすばらしい。
 
 お互いの人格を認め合って 余計な手出しはしない。
おばあちゃんも甘えていない。

 世の中にはすごいおばあちゃんもいるものだなあと若干80歳の婆は只々感嘆!

宝塚へ2017/06/26 11:41

 娘夫婦と宝塚へ行った。
宝塚は遠かった^^.
 
 東北新幹線と東海道新幹線を乗り継いで新大阪に着いたのが午後一時。

 車中は娘と二人。Gさんは夕食までにホテルで合流すことになっていた。 
その限られた時間での観光は難しいのでお城に登って大阪を眺めることにした..^^;;

 京都は何度か訪れたが大阪はずいぶん昔団体旅行で行ったことが一度だけある。
記憶はほとんどなく 城の石垣の石の大きさをガイドさんが話してくれたことだけ思い出した^^;;;
 
 出発前は雨の心配をしていたが新大阪でホームに降り立ったところで
北国とは違う熱気の歓迎を受け二日間とも晴天に恵まれ(?)た。
 
 私の旅程は一泊二日。二日目土曜日、宝塚公演を見てから
神戸へ行くという二人の誘いを断って帰路に。、
 
 二人は私を新大阪まで送ってくれるという。
 私は劇場前で別れてもどうにかなるだろうと思っていたのだが列車の時間を
気にしながら宝塚→大阪→新大阪にたどり着く自信がなくなった。
 
 二人に甘えて新大阪の新幹線乗り場まで同伴してもらった。
一人ではとても発車時刻に間に合わなかっただろう。ありがとう。 
 

 観劇のこと。
公演前に「殿堂」を見た。

 塚オンチの婆は映画で活躍した往年の女優の写真を見て宝塚出身者の多いことを知った。
 
 演目は花組「邪馬台国の風」
ヒミコ役の仙名 彩世 は宮城の出身、(仙台の「仙」と名取の「名」)
 今回女役のトップに。
 
 宝塚大劇場の4列目の恵まれた席でレビューまで楽しんできた。
 「これでもか」と言うほどの エネルギッシュな舞台、婆には受け止めきれないほどだった。^^;;;
 
 日常から離れ別世界に遊んだ気分。もっと若かったらもっと楽しみがもらえたかもしれない。
 
 新幹線で富士山を見ようと思っていたが往きは曇りでみえなかった。
 復路の新幹線でたそがれ時の富士山に出会った。

写真はよく撮れなかったが山頂近くに雪が残りこんな素敵な富士山に出会えたのは初めてだった。

 付録のプレゼントをいただいたようで良い旅の締めくくりが出来た。。
 




苦手意識2017/06/21 20:58

 何かと苦手なことの多い私だが「犬」もその一つで
どうにかして好きになりたいと思っても出来ない。

 子供の頃田舎では放し飼いの犬が多かった。
集落の一本道の向こうに犬が見えると動けなくなる。
誰か通りかかるのを待ってその人の後から付いて行ったりした。

 噛まれたとか実害を受けたことはないのだが 吠えられるだけで
怖い。

 今は犬はいつも飼い主と一緒だ。
 だが、理由のない怖さは変わらない。

 近所に「ルカ」と「ノア」という聖書を連想させる小型犬がいる。
どちらの「パパ」「ママ」にも一人暮らしの私を気遣っていただいている恩がある。

 姿を見かけると「ルカおはよう♪」と声をかける。
だが、賢くて敏感なワンちゃんが私の口先だけの挨拶に反応するはずもなくそっぽを向いている。
とにかく怖くて手が出ないのである。

 ノアのママは早起きで私が新聞を取りに行くとノアを連れて家の前にいることがある。
ノアは白内障で目が見えない。遠くへの散歩はしないで辺りをぐるぐる回るだけだ。
 糖尿病もありママがインシュリンを打ってあげているそうだ。

 「ノアちゃんは何歳なの」と聞いたら13歳とのこと@@!。
人間にすると70代くらいにはなるらしい。

 吠えもせず、走りもせず狭い場所をぐるぐるしているノア。
ノア、一生懸命生きているんだね。

 仲間だね~となんだか身につまされて そっと背中を撫でてみた。

十和田湖2017/06/12 16:14

   十和田湖の観光地が寂しくなったという噂は耳に入っていたが
人の流れは変わることもあるだろうと深く考えもしないでいた。

 十和田湖は青春の思い出の地だ。
 
 気が向くと一人でふらりと十和田湖へ出かけた。
 生家は奥羽本線の沿線沿い と言っても最寄り駅まで5キロもあった。
 
 その駅に夜行列車が停まることが分かり 深夜 田んぼの中の
真っ黒の一本道を歩き 駅へ。 汽車で、青森まで。6時ごろ到着。

 それからバスに乗り八甲田の山越え。蔦温泉、酸ヶ湯温泉を通って
奥入瀬を眺めながら子ノ口へ。
 そこで遊覧船に乗り休屋へ。

  帰りはバスで発荷峠を通って秋田県側に降りる。
 毛馬内(現十和田南)から 又汽車に乗り大館を経て帰宅。

  おお!我ながら凄い。つまり宿も取らない弾丸ツアー

 60年前はお金も時間もなかったが体力はあったのだなあ^^;;

 年配になると出来ることなら若いころに帰りたいというの人が
多いが 不器用だった私は訳の分からない濃い霧の中でもがいていたあの頃に戻りたいとは思わない。

 十和田湖は大げさに言えば私の「聖地」であった。
 奥入瀬の流れも 紅葉も、新緑も湖水の色も 私の目を覚まさせてくれた。
 何度訪れても素晴らしかった。

 今もってふらふら出歩きたがるのはその頃の後遺症?
 人生ままならないもので今は時間はたっぷり、
そこそこの所へ行けるゆとりもあるが 体力がない^^;;;;


 十和田湖の観光客減少は相当深刻な問題で
原因は6年前の東日本大震災の影響が大きいという。