「シン・ゴジラ」2016/08/26 22:11


 夕方近所の家に届け物をしての帰り 門のところにあった自転車の赤いランプが ちかちかと点滅していた。

 玄関の扉はすでにしまっている。
ランプが付いたままでは困るのではないか。
もう一度呼び出すのも気が引けたが呼び鈴を押したら
奥さんが又顔を出してくれた。
 ランプが・・・というと「ああ、それ触ると点くのよ」と笑って言う。

 触った覚えはないのだが狭いところをすり抜けようとしたとき
私が触れたのだろう。
 盗難防止のランプらしい。

 最近は世の動きについていけてないなあと思うことがある。

 若い人の間に話題の「シン・ゴジラ」を観た。
と、知り合いに言うと「え?!あなたが!」と驚かれる。
  
 滅多に映画を見たことがないという娘が何年振りかで
「シン・ゴジラ」を観たら面白かったから見てみたらとのこと。

 年を取ったせいか、殺伐としたシーンが正視できなくなった。
特撮にも興味がない、もちろんゴジラにも。

 時間もあることだし折角の娘のゴスイセンだからと出かけた。

 
 が、映画に先立っての予告編が二本とも怖い怪物のような場面ばかりで
 
 おまけに最新式のIMAXという上映システムのため 画面の大きさや殊に音響効果が半端でない。
 目を閉じて耳をふさいでも音は周囲全体から響いてくる。

 「とんでもない処に来てしまった。本編もこんなだったらどうしよう」と音に耐えていたら
「ゴジラ」が始まったら静かになった。

 ホッとした。
 あらすじは東京湾に現れた巨大不明生物と対決する政府や各機関の必死の取り組み。

 私にはよく理解出来ないところもあったが、迫力があり退屈もしなかった。

 ゴジラが暴れて街を破壊していく様は東日本大震災の津波を連想させた。

 「ゴジラ」はある日突然起こる災害であったり、疫病であったり、戦争であったりするかもしれない。

 その時、政府や各機関は映画のように私たちを守ってくれるのだろうか。

 世の動きからズレてしまった頭で考えてみる^^;;;

熱中症にご注意2016/08/21 11:33

 囲碁遊びを八月は六日と13日を休んだので
昨日しばらくぶりで出席したら7名と少なかった。

 ○氏のいつもと変わらぬ元気そうなお顔が見えたので
○さんと「あら!よかった、よかった」と喜んだ。

 先月30日の活動日に毎回30分は早く見えて勉強熱心な仲間のために指導碁をしてくださる○氏が10時を過ぎても見えなかった。

 遅いねと話していたところへ「救急車で運ばれた」という電話が入った。
 その後詳しい情報はないまま囲碁の後一同解散した。

 休んでいた3週間の間 ○氏はどうなったかしらと気がかりだった。


○氏の話によると

 30日の朝9時半ごろ、囲碁の会場に来ようとしていつものように自転車にまたがった。
 記憶はそこからプツンと切れている。

 倒れたところが自宅近くなのが幸いして ご近所の人も顔見知り
本人に意識はなかったが大騒ぎになりすぐに救急車で病院に運ばれた。

 どんな処置をされたかもわからない。
意識が戻ったのは3時ころ。手首のところから点滴が繋がっていた。

 熱中症。

 ○氏は85歳と高齢だが古武士のような風格で「剣道とか何か武道でも?」と聞きたくなるような健康そのものの印象を受ける。
 そんな○氏を突然襲った熱中症。

 
 ○氏は淡々と話してくれたが熱中症って怖いんだなあと
後期高齢者一同は改めて思ったのだった。

ご無沙汰日記2016/08/19 20:51

 今年のお盆も五人が揃ってお墓参りができた。

 12日に帰省した息子夫婦は台風のことなどもあって予定を繰り上げて15日に帰って行った。

 16日は寝具の始末には絶好のお天気だった。
11日から来ていた娘夫婦の分も一緒に布団を干し、シーツやタオルケットの大物を洗濯した。
 暑いのは堪えるが洗濯物が乾くのは気持ちがいい。

 16日午後○さんが訪ねてくれた。
 40年以上の長い付き合いで私の悪いところも
重々承知の上で付き合ってもらえるからすっかり甘えて
勝手なことをいう。
 ○さんとおしゃべりをすると細胞の一つ一つまで浄化されるようですっきり気分になる。

 ○さんは私の五つ下だが三年前から短歌を始められた。
短歌の話が出るたびに誘われるが今からではどうにもならない^^;;;;

 17日は内科の定期健診、午後は目薬が切れていたので眼科に行った。

 昨日18日は「座ってする体操」の最終日だった。

 すでに市民センターに先輩グループが週一で活動しているそうで
そちらのグループに入れてもらい体操を続けることになった。
 
リオのオリンピックも終わりに近づいた。日本選手は大活躍だが
年のせいか、ハラハラドキドキに弱い。リアルタイムでは見ておれない。

 四年後東京五輪も真夏の開催。
暑さもさることながら終戦記念日、お盆、など八月は物思う時期で五輪の雰囲気にはそぐわないところもあるように思う。

 が、夏のオリンピックの開催時期は7/15~8/31の間に開くという
大前提がIOCによって決められていて変更は難しいそうだ。

 4年後に東京でオリンピックが開かれるのは確実だが、
 婆の寿命の方はどうかな^^;;;

八月九日2016/08/09 18:16

 
 昨日は一雨あったせいで暑さも一息と思ったが
今日また34度と暑い。

 昨日 天皇陛下のお言葉があった。
 
 猛暑が続く中熱中症を懸念して家の中で「黒い雨」を読んでいたが、

ちょうど読み終わったら3時少し前でTVを入れたら間もなくお言葉が
始まった。

 「黒い雨」の最終章は終戦の玉音放送のある日で終わる。

 私が国民小学校の戦時中は登下校する際 校庭にあった御神影を祭ってある奉安殿に最敬礼をしてから校舎に入った。
 
 朝礼で校長先生が「天皇陛下」という言葉を使うと一同直立不動の姿勢になった。 そんな時代に育った。

 「神」であった天皇陛下とテレビの画面から優しい言葉で話しかけている今上天皇の姿と。

 「生前退位」には難しい問題が多いようだが、
世の移り変わり、自分の歩んできた道を振り返り戦後71年は短くはないのだといろいろの思いが沸いた。

 リオのオリンピックや甲子園の高校野球などで薄れがちだが今日は
長崎に原爆の投下された日だ。

八月六日2016/08/06 16:09

 
 今日も日差しは厳しい。

 最高気温は34度だが幸い涼しい風が入る。
 
 家の周りの雑草は気になるが
家の中の一番風の通るところで本を読むことにした。
 
 昭和41年発行された井伏鱒二の「黒い雨」。

 
 実は昨日、BSで映画「黒い雨」を見た。
以前映画館でも観た。

 善良な市民が一個の原子爆弾によって狂わされていく人生、

 原爆の破壊力、71年経った現在も苦しみの続いている人もいるだろう。

 
 単細胞だから すぐ影響を受けて昔購入した本のことを
思い出したのである。

  
 今日、六日は広島市に原爆投下された日。
記念式典の様子もテレビで放映された。

 世界中、平和を願わない人はいないはずなのに、
世界の推定核弾頭保数が15000以上と言われることにも驚く。

 今日の河北新報
「うたの泉」より
 
 焼けただれ顔かたちなき列つづき 弟よ死んで居れよともおもふ
                 (宮田 定)1921~2010年



 


あわただしい八月2016/08/04 17:36


 朝から日差しが厳しかった。
最高気温33度この夏一番の暑さ。熱中症指数は「厳重警戒」
この暑さは明日も続くらしい。

 八月も早四日、自分は何をしていたのだろうと思うほど
日の経つのが早い。

 七月はまるで東京都民にでもなったかのように前知事のテレビ番組と選挙戦を連日のように見ていた。

 新しく女性都知事が決まり 国政の方も阿倍改造内閣が昨日発足した。

 八月は71回目の終戦記念日を迎える。

 新聞もテレビも戦争の記事が目に付くようになったが、
阿倍内閣に数の力で押し切られ 憲法さえ守り切れなくなるのではないか。
「主権在民」・・・というが意識をしっかり持ちたいと思う。

 ふと気が付くと東北の夏祭りがすでに始まっている。

 青森のねぶた(7日まで)盛岡のさんさ踊り(1~4)秋田竿灯(3~6)
山形花笠踊り(5~7)

 盛岡のさんさ踊りだけ見ていない。

 美容院の奥さんはさんさ踊りが一番いいと祭の季節になるというので
一度見てみたいと思っていたが今年も終わってしまった。

 お盆も来る。

 何かと忙しい八月だ。

梅雨明け2016/07/31 17:16


 29日に梅雨明けの報道があった。

 29日は友達と冷房の効いたコーヒー店で長いおしゃべりをして
終わって外に出たらカァ~ッと日が照っていた。
 
 七月はこれまで暑い日はあっても続くわけでもなく
30度を超えた日は3回だった。

 今夏はまだ一度も冷房を入れてない。

 29日に梅雨が明けて、29日、30日と続けて31度だった。

 今日31日も最高は31度だが風が入るのでこのくらいなら、まだ大丈夫。
 
さいわい、 年寄りには外に出る決まった仕事があるわけでもない。
 
 寒い冬の日、確か「寒いよりは暑いのが我慢できる」と言った覚えがある。
 対して友が言った。
 「寒いのは着物。暖房で対策ができるが暑さはだるいとか体調が狂うから嫌」

  これからが夏の本番。暑さが続くだろう。

 もし 猛暑が続いても 
 「暑さよりは寒さがまだ我慢できる」なんて言ってはダメですョ^^;;;


 睡眠をしっかり、水分補給怠りなく熱中症に気を付けようと思う。




記憶をたどる2016/07/25 18:23


 「山路を登りながらこう考えた・・・」
唐突に夏目漱石「草枕」の冒頭の文章が口を出た。
 
 「智に働けば角が立つ、、情にさおさせば流される、
意地を通せば窮屈だ。とかく人の世は住みにくい。・・・・
・・・・・・・・・・
・・・住みにくいと悟ったとき、詩が生まれて絵ができる」
ここまでするすると出た。
 「年寄りは昔のことは覚えているが最近のことは覚えていない」とは
よく言ったものだ。
 PCを開いて確かめた。
 文字の抜けているところもあるがまあ合っている。
 

 漱石のものでは若いころ「吾輩は猫である」「こころ」「坊ちゃん」「それから」など
読んだが「草枕」は途中で投げ出したのではないかと思う。
 今、読んでみると実に面白い。
 
 「草枕」は「吾輩は猫である」と初期の作品(40歳ころ)という。
 
 二章まで読んで夫の「漱石全集10巻」を思い出し、本はやっぱり縦文字だろうと、
移行した。
 
 その本が昭和28年発行で(380円)。夫二十歳のころ。
高卒の本好きの若者がサラリーをはたいて求めたのだろう。

 本の中身は旧仮名遣い、旧漢字。
活字も細かく老眼には難儀だったがルビがあったので、
漱石さんの選んだ言葉をどうにか読み切った。





 漱石は文豪の名にふさわしい才に溢れた人だったと思う。
 (漢詩、絵画、書、俳句など・・・)
 
 「吾輩は猫である」の、冒頭の文も記憶に残っている。
「吾輩は猫である。名前はまだない。どこで生まれたかとんと見当がつかぬ。
なんでも薄暗いじめじめしたところでにゃーにゃー泣いていたことだけは記憶している」
 
 どちらの文章も非常にリズミカルだ。ゆえに記憶に入りやすかったのかも。
 
 漱石が俳句に造詣が深かった故ではないかと勝手に想像している。
 
昔の文豪と呼ばれた人たちは鴎外や藤村にしろ重厚でスケールが大きかったと思う。
 


街を歩けば2016/07/24 21:10

  ボラを辞めてから外出が減っている。
特に街まで出かけることが少なくなった。

 金曜日娘夫婦が泊まった。
 Kさんの車が新しくなっていた。
 婆でも新しい車には乗ってみたい^^;
 土曜日、山形までの用事に誘われたが私は一緒しなかった。

 四時ごろ山形から戻り二人は娘の家に帰ることになった。

 娘が「回り道をして街のおいしいフルーツパーラーに
寄ろうと思うが一緒にどう?」と言う。
 「おお!新車試乗とスイーツのセット!いいねえ!」

 勧められて 娘と変わって助手席に。
 両側に続く豊かな街路樹の緑を愛でながらのドライブ。

 パーラーでは山盛りのフルーツパフェを血圧のことも
 コレステロールのことも忘れて完食した^^;;;

 今日は日曜日、曇り、気温も最高24度と過ごしやすかった。
お中元を一件忘れたのを思い出し街まで出た。
 
 一番町はお祭り日で御神輿が3台も出て、スズメ踊りやら大層な賑わいだった。
 
 昨日は車で通ったから感じなかったが通りを歩くと人がやたらに多いと思った。
 毎日過ごしているのんびりした空気との違い。
 自分の感覚が、そんなゆったりした環境に順応しているのだと感じた。 

 時々は用事を作ってでも街に出るのもいいかもしれない。


付録。
 ●商店街を歩いていたとき、すぐ後ろを歩いていた二人連れの会話。
 女「3000円の20%引きっていくらなの」
 男「3000円の20%引き?」
 女「そう、3000円の20%」男「・・・・」
   (おいおい、3✖8=24・・・2400円でしょうが)
 後ろを振り返るわけにはいかなかったがそんなに難しい計算?

 ●バスまでの時間があったのでベンチにかけていた。
  隣のベンチに若い夫婦が掛けて2年生位の子がその前で
 右や左や歩いたり飛んだり、活発に動いていた。
 (こんなに動いても疲れないんだ)と思いながら眺めていたら
前に進んで そのまま後ろ向きで歩いた。姿勢も速度も前に進むときと少しも変わらない。
 (これはただものではない)と思っていたら、こんどは腕を横に開いたり足を上げたりしだした。
 (そっか、バレエ習ってるんだ)と納得^^。

  最後に彼女は母親の前で片足をひき 両手を広げてお辞儀をした。

 ここでオッチョコ婆は思わずパチパチ。
 母親が私の方を向いてにっこりした。

二足歩行の宿命2016/07/19 21:03




 祖母は81歳で亡くなったが腰の曲がっていることを気にしていた。
 
 母は母親のそんな嘆きを聞いて自分は腰の曲がった年寄りには
なりたくないと言っていたが76歳で亡くなるころには
願いとは裏腹に腰の曲がった婆さんになっていた。

  何百万年前、人は進化の過程で二足歩行になった。

 直立で歩行するのは人間だけで、脊髄には負担が大きい。
腰痛は二足歩行の宿命と言われている。
 
 私の若いころの年寄りは腰が曲がっていた。
農作業などで前かがみの姿勢でいることが多かったからだろう。
 農耕民族には腰痛が多く、狩猟民族は足を使うから少ないともいわれる。
 
 今、周りには腰の曲がった年寄りを見かけない。
 私たち姉兄五人も腰は曲がっていない。
 腰の曲がっている人は見かけなくなったが杖を持っている人は多い。
駅で待ち合わせをしていると行きかう人の中に杖を持っている人の多さに驚く。
 
 86歳の姉は最近腰が痛いと言い、私も痛みはないが膝の不調を抱えている。
 二足歩行の宿命かもしれない。

 ○さんは40年前に腰の手術を受けた。
 杖を使っているが歩行が不自由そうだ。
 
 一年ほどの間に 知り合いが三人腰の手術をした。

 リハビリなど、本人の大変な努力の結果もあるなのだろうが、
スムーズな綺麗な歩き方をしている。
 
 40年前とは手術も違っているのだろう 医学の進歩を感じる。