思い出 ― 2017/05/14 15:03
郷の姉から電話が来た時お祭りの話が出た。
そういえば村の祭りは5月だった。
昔、祭の日は特別な日で家々ではご馳走を作り来客に備え
皆が浮かれて 楽しい日であった。
数件の出店が出て子供たちは親からちょっぴりお小遣いをもらった。
姉の話によれば近年はそれぞれの家族単位で楽しんでいるのか
酔っぱらって道路を歩いている人を見かけないとのこと。
昔、祭の日に担任の先生が家に上がったことがある。
教室では真面目な先生もすっかり酔っぱらっていた。
この日ばかりは無礼講が許されていた のどかな時代だった。
祭だけではない、集落に「柱建て」(上棟式)の家があると言えば
餅拾いにみんなが集まり大騒ぎで餅を奪い合った。
すべてが手作業だった農作業、田植え、稲刈りはお互いに助け合った。
葬儀の際は「荼毘手伝い」がいて 集落の人々は皆で見送りをした。
お嫁さんが来ると聞けば子供たちはその家に押しかけて縁側から
宴会の様子を見物した。
喜びも悲しみも共有していたように思う。
レジャーと言う言葉が何時から使われるようになったが分からないが
現代はどんな不便なところに住んでいても経済的に豊かであれば
自分が望む楽しみを手に入れることが出来る。
貧しく不自由な暮らしの中にあったぬくもり、
ものが溢れ 時間に追い立てられているような今の自分。
齢八十年、確かに歴史の中を歩いてきたのだなあと思う。
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