東北六魂祭2013/06/05 22:13

 

 更新をさぼっているのでカレンダーが5月のままになっているのが気になる。
 ・・・ので、とりあえずのUP^^;

 何の写真?飛行雲です。
 金曜日、午後二時ごろPCの前にいた時、「ガーッ」とすごい飛行音がした。
 カメラを取り出してパシャっとしたら機体はすでに消えて雲だけが残っていた。
1・2・3・・・5本。

 先週の土日は福島市で「六魂祭」があった。
福島に住む娘から誘いを受けていたがこのところ外出が多く断った。
 その時「ブルーインパル」の曲芸飛行がある(前日にも予行)と聞かされていた。

 飛行雲が編隊で5機、もしかしたら「ブルーインパルス」かと思った。
日曜日に来宅のKさん(娘婿)に画像を見せたら「福島からの帰りでしょう」ということだった。

 「六魂祭」は東日本大震災の鎮魂と復興を願う祭りで今回は第三回。
第一回が仙台で震災の年の7月16日に行われたが予想外の人出で
出し物の運行を取りやめるなどの大混乱となった、
私もネットのご夫妻を案内しようとしたが人ごみの中を連れまわしたばかりで申し訳ない残念なことだった。

(仙台の六魂祭のことを恨みタラタラ記事にしてあるが、震災から4カ月しか経っていない当時の状況を考えれば混乱もやむをえなかったのかと思ったりする。)

 第二回は盛岡2012年の5月26日に開かれた。
ネットで見ると仙台の人出36万人。盛岡24万人。
それなりの経済効果もあったようだ。

 当初、東北6県で開催される予定であったが、次回はやるか、やらぬかも含めて未定との事である。

 http://www.youtube.com/watch?v=o3VXeMyPYgU

遠大な夢2013/06/07 11:10

 

 草取りをしていたら、隣のおくさんが洗濯物を干していた。
「おはようございます」

 あれ?
小さな肌着が次々と並んで竿に掛けられた。
初着ですか~

 数年前に嫁がれた娘さんが男の子を出産されて実家に戻っているのだった。
 初孫だ。
 
 娘さん夫婦は市内に住んでいることもあって、頻繁にご夫婦で来て、連れだって散歩をするのは見かけていたがおめでたには気づかなかった。

 「旦那さまもさぞ喜んでいるでしょうね」と言ったら
それがもう生まれたばかりの息子に覆いかぶさるようにじぃ~っと見つめ続けているパパぶりだそうな。
 そしてひと月に満たない息子に「一緒に酒を飲もうな」と言う。

 30代のパパだから20年後には杯を交わすことができる。

 この話で思い出した。
友達の〇さん一家が宴会をした。

 お酒好きのおじいちゃん(〇さんのご主人)が孫に向かって「大きくなったらおじいちゃんとお酒を飲もうな」と言ったそうだ。

 いっしょに飲んでいた息子さんがそれを聞いて「オヤジさん、頑張る気満々だね~」と言ったので一同笑った。

 こちらのおじいちゃんは75歳。孫ちゃんは3さい。
 チト無理じゃない?
 いやいや。
 孫の成人を夢見ていたら90代なんて楽に来てしまうかもね~~^^。

失せもの探し2013/06/10 07:36

 これは普通の時計だが、娘からもらったものなので私には大事な時計だ。

 ある日、時計を外したとき留め具がポロリと落ちた。
ポロリと落ちたのだからすんなり入ると思ったが上下、裏表 いろいろ試したが入らない。

 娘に言ったら買ったところに行くのがベターだが近くの時計屋さんに見てもらって、と言うので、行った。

 若い店員が私と同じに角度を変えたりやっていたが頭をかしげている。じっと見ていた隣の年配の店員が変わってくれてあっという間に差し込んだ@@!^^
 お代は無用という。お二人に最敬礼をして帰った。

 ケータイや万歩計を持っているとはいえ、腕時計のない外出は不自由だった。
 金曜日はボラに出て帰りにスーパーで買い物をして帰宅が5時過ぎ。

 翌日外出しようとしたら時計が見えない。
 いつも置くのは居間の棚の上。ない!!
スーパーに入る時は着けていた。それからの時計の記憶が消えている。

 バックの中、思い当たるところをくまなく探したが出てこない。
 折角直してもらったのに~~(涙)

 恥ずかしいがスーパーに行ってみよう。ボラの荷物の上に買ったものを詰めている時でも留め具が外れて落ちたかもしれない。
 開店を待っていくことにした。

 出かける前、もう一度家の中を見回した。

 ん?このごみくず入れ?まさか~
古新聞を広げてゴミを空けた。

 『アッタ!!』

 なぜ、くず入れに時計が入っていたのか。
 昔、子育てをしていたころ、今でいうママ友が押し入れから茶筒が出てきたと話して皆で大笑いしたことがあった。

 押し入れだったらまだしもくず入れでは考えたって分かるわけがない。

 自分のやったことの記憶も 意味も分からない日常はノウテンキに見えて結構タイヘンなのであ~る^^;;;;

秋田へ2013/06/13 21:34



 高校の喜寿の会に出席した。全員で200名ほど。我がクラスは10名だった。
クラスの人は一人を除いて思い出せた。思い出せなかったのは卒業以来60年ぶりのSさんだけ。

 会った瞬間「変わった」と思う人でもしばらく話していると顔から60年の月日は消えて高校時代のキラキラした顔に戻るのが不思議だった。
 同じ年齢が集っても喜寿までのそれぞれの歴史を刻んでいる。

 「フラダンス」と「南京玉すだれ」など会員のお披露目もあった。
中国に長く滞在し、太極拳をしているという人が連続側転をしたのには驚いた。

 喜寿と言ってもいろんな喜寿があるんだな~~

 友達のYさんが偶然同じ宿だったのでゆっくりおしゃべりができた。
翌日二人で美術館に行き何十年か振りに≪秋田の行事≫をはじめ藤田嗣治の絵を見てきた。

《お濠の睡蓮》

 同期会の前日は姉のところに泊まった。

 秋田市の会場に向かう私を姉が駅まで送ってくれた。駅の近くの横断歩道立ち止まったら車が止まってクラクションが鳴った。
 見ると昔村で一緒に働いた同僚のHさんだった。

 あら~@@!何十年ぶり!

 私はそのころ職場でお嫁に行きそびれてうろうろしていた^^;
微妙なお年頃だったのに後輩の彼らは男女とも遊ぶ時は5歳も年上の私を誘ってくれた。

 隣町までお寿司を食べに行ったり、映画を見たり、ハイキングをしたりした。
みんな楽しい仲間だった。

 Hさんは堅実で落ち着いた人だった。
その頃もいい笑顔を持っていたがその笑顔に年齢が加わって一層素敵だ。

 「エ~ッ!年を取らなかったの? 若すぎだよ~、」と言ったら
 「いや、こらこの通り」と被っていた帽子をさっと取った。

光っていた^^。
 「立派だよ。ハクが付いたんだね~~」二人で笑いあって列車が来そうだったので別れた。

 たった5分ほどだったが、ふるさと帰省のオマケのハプニングだった^^。

朝ドラ あまちゃん2013/06/17 19:43

 プールへの坂を下っていくと角の所に整骨院がある。

 整骨院の窓に張り紙があり 書いているキャッチコピーが時々変わる。

 たとえば季節が移り、風がさわさわと感じられるようになると「温かいお茶に変えました」などちょっと頬が緩むような気張らないフレーズ。

 この前までは「八重の桜」に関して、今は朝ドラの「あまちゃん」絡みだ。

 「あまちゃんはいませんが あんまさんはいます。じぇ、じぇ、じぇ、」
(あんまは放送禁止用語になっているようだが)

 この整骨院にお世話になったことはないが、首が回らなくなったら行ってみようかな^^。


 ドラマの方の「あまちゃん」は好評、ドラマ効果で観光客も増えているという。
三陸は津波で大きな被害を受けたから一人でも多くの人に来てもらいたい。

 ドラマは毎朝見ているが「方言」に弱い。
方言がハイレベルでテレビと対坐しないと聞き取れない。家事をしながらというわけにいかないのが不自由だ^^;

 先日「家族に乾杯」で久慈市を訪れた小泉今日子が鶴瓶のために方言の「通訳」をしていたが見事だった。

 強いお国言葉にもかかわらず、視聴率がいいのは嬉しいことだ。

 自分は東北生まれの東北育ち、ドラマの言葉を難しいと思うのは年で耳が悪くなっているのかな~^^;;;

咽喉科顛末記2013/06/19 19:13

 4月に喉を痛めてからこんなに長くかかるとは思わなかった。
声が出なくなったのは風邪のせいと原因も分かっていたから気楽に考えていた。

 風邪はすっかり治ったのに声が戻らないので近くの耳鼻咽喉科にいった。
 耳鼻科は子供のころ以来、行ったことがない。

 アーンして長い綿棒の先のルゴール液をチョチョンと塗られてうがい薬を処方されるのかと勝手に思っていた。

 挨拶をして先生の前の診察用の椅子に掛けた。
問診は前もって看護師がしているから先生からの質問はない。

 「耳を見ます」
ぐるん、ぐるんと椅子が左右に回されて五秒もかからずに耳の診察が終わり、次は鼻を見て「内視鏡で喉を調べます。子供でも出来る検査なので難しくありません」

 テキパキ,テキパキ。

 画像を示しながら先生が言った。

 「ポリープ状のものがありそのため声帯がきちんと閉じられず声がかすれます。二週間様子を見て改善がなければ大きな病院を紹介して手術ということもあります」

 ということで薬をもらって二週間。検査、さらに二週間様子見。検査。

 結果、紹介状を持って総合病院に行くことになった。
自分的には声はかすれるが日に日に楽に出るようになり深刻には考えていなかったからツアーにも行ったしプールにも行っていた。

 でも・・手術となれば入院がいるのかな~そうなると・・・・

 診察結果は「何も心配ありません。まあ指で言えばペンダコのようなものです。ごく小さな。放っておいても大丈夫です」

 「ポリープ」と「タコ」では素人の受ける印象は違うな~~

 ということで、病院には行かなくていいことになった。

 玉を転がすようなかつての美声ではないがより魅力的なハスキーな声になりましたぁ~~^^。な~んちゃって。(←こらこら、ネットだからって嘘はダメですよ^^;;)

76歳2013/06/26 21:47

 喜寿の会の後 同じホテルでクラスのお茶会があった。
その折、高一の教室でのスナップを拡大コピーして持ってきた人がいて
私は会に出られなかった友達のRさんが写っていたのでそれをデジカメに収めRさんに送った。

 写真に私は写っていないが、どこやらあどけなさの残る表情を見ながら60年前の高校生活をしのんだ。

 服装のばらばらなのが面白い。
入学の一年前(昭和27年)にそれまでのセーラー服からブレザーに制服が変った。戦後は続いていて学校は各家庭の事情を考えたのか 切り替えの期間を定めなかった。

 いち早く、切り替えた人の一方で、長くセーラー服を愛用した人もいたが修学旅行の頃は全員がブレザーになった。


 Rさんから返事が来た。
写真のお礼も書いてあった。

 驚いたのは写真にも写っているSさんの死亡広告が地元新聞に出たと手紙にあった。
 あの日Sさんは喜寿の会には出席できないがクラス会には出席したいとのことで私たちは待っていた。

 なかなか見えないSさんに幹事が連絡を入れたら体調が良くないので欠席したいと恐縮していたそうだ。

 そんな事情があったから(会に出なかったRさんは知らずに教えてくれたことだけど)本当に驚いた。

 改めて自分の76歳という年を思ってみる。

 父も母もそして夫との別れも76歳である。

 Rさんの手紙に「一日一日を大切にしましょうね」とあった。

 こうして「無常」を突き付けられると日々を大切にしなくてはと神妙に考えるのだが
数日すると忘れて いつものような何事もない日が明日も明後日も続くような気がしてしまう。
 
 ノウテンキな怠け者なのである。