新緑の頃2013/05/04 21:51

 春の景色は柔らかな色が多く、気持を優しくしてくれる。

 ここのところ、青空にお日様も照っているのに強い風の日が続いた。

 「山笑う」の季節だが、こちらは風邪のぶり返しを恐れて大人しくしている身、今日はせめてと住宅地を抜けて散歩に出た。

 黒い帽子を目深にし、マスクも付け、ゴウトウさんみたいだ^^;

 散り遅れている桜のピンクと萌えだした新芽の緑、里山の淡いかすむような景色は紅葉とはまた違う良さがある。

 散歩のときに立ち寄る神社の所で花壇を見ている高齢の男性と目があったので「こんにちは」と挨拶をした。

 チューリップやスイセンなどたくさんの花々が公園のように咲いていた。
「見事ですね」
 これがきっかけでおしゃべりすることになった^^。
「失礼ですが神社と関係のある方でしょうか」(神職は息子の代になった。)

 かなり古い神社で由緒ある歴史など教えていただいた。

 帰りしな 以前、彼岸花を撮らせていただきましたと言ったら
あ、彼岸花ねと言って葉っぱを教えてもらった。

 へェ~~! 可笑しなことにそれまで彼岸花に葉っぱがあることを思ったことがなかった^^;;

 勉強になった散歩だった。


http://orangestudio.homeip.net/gallery/user.php?userid=34343

震災から二年二ケ月2013/05/10 21:11



 橋を通ったら補修工事中の標識があった。
「地震に強い橋になおしています」
 

 明日で震災から2年2カ月になる。
一見丈夫そうな大きな橋を震災後も何気なく渡っていた。
 工事中ということは震源地から遠い橋にも地震による傷みがあったのだろう。

 私たちが震災前、毎週利用していた市民センターも被害が酷く取り壊された。未だ更地のままで再建されるのは何時の事やらわからない。

 大震災は建物だけでなく、人の心にも傷を残した。

 沿岸から遠く被害が少なく普通の暮らしに戻っているのに 心の中に淀んでいる澱のような思いを払うことができない。

 苦しんでいる人がいると分かりながら行動できない不甲斐なさ。後ろめたさ。
 自分にできることは本当にないのだろうか。


 友が教えている絵手紙の教室に新しい生徒が入ったそうだ。
 昭和5年生まれというから、80歳を超えたご婦人。
 80歳を超えて新しいことに挑戦する意欲に驚いた。

 新しい人は傍に座ってもらい、おしゃべりをしながら自己紹介を兼ね 教室の事など話す。

 お稽古の時間が終わる頃になって、その方は絵とは関係ないことですがと断って地震の事を話した。

 3月11日巨大地震のあの日、東松島の自宅にいた。
ワンちゃんを抱いて激しい揺れに耐えた。「津波」という考えが全くなかった。
 外が騒がしいと思い窓からのぞくと既に津波が押し寄せてくるのが見えた。
 慌てて二階に上がった。海水が二階の畳の上まで来てとうとう家が流され始めた。600メートルばかりのところで止まった。
 ワンちゃんと二階で暗く寒い一夜を過ごし翌日自衛隊に救助された。

 現在は仙台市の「みなし仮設住宅」に一人で住んでいるそうだ。
80を超えて生死を分かつ体験をされてなお新しいことを始めようとする気持ち、人生をあきらめずしっかりと生きているのだなあと思った。


 自分にできることは本当にないのだろうか。
怠けたくて、単に苦しいことから逃れようとしているだけではないのか。


お天気2013/05/15 21:22


  上がったり、下がったり、ジェットコースターのように気温が激しく動く。体調に気を配らなくては。

 13日:11度
 14日:24度
 15日:13度

 これが月曜からの最高気温。
今日は夜になって雷が鳴り出した。

 5月と言えば 

♪ 鮮やかな緑よ 明るい緑よ
 鳥居を包み 藁屋をかくし
 香る 香る 若葉が香る♪

 と、昔の唱歌がつい口ずさみたくなるような爽やかな季節のはずなのに。

 長期予報では今年の夏は猛暑とか。

 日本は四季がはっきりしていると小学校で教わったが近年は
さわやかな春と秋が短くなり、暑さと寒さが長くなったと思う。

 おてんとうさまの事を愚痴ったところでどうなることでもないが
この変化は年寄りにはこたえる(>-<)

お庭拝見2013/05/17 22:37

 《奥様手作りのお土産》

初めてのお宅を訪問した。

 前に記事にしたことがあるが、亡くなった姉に縁のある人がごく近いところに住んでいて、その方が我が家を訪ねてくれた時、花の季節に是非見に来てくださいとお誘いを受けていた。


 今日は青空、花を見せていただくにはお天気のいい日がいい。
電話で伺いを入れたらどうぞと言うことで出かけた。

 午後の外出もあったので、花と「エントランスギャラリー」を拝見したら
すぐお暇するつもりだった。
 私は親しくしてもらっている友人宅にも上がり込むことはほとんどない。

 地図を頼りに歩いて10分とかからないところだった。
初めてお目にかかる奥様にも強く勧められて上がってしまった^^;

 テーブルに着いたらおしゃべりが始まった、
花の事も玄関スペースをギャラリーとしているお二人の作品(書・水墨画・マクラメ他の手芸・などなど)お友達の作品を鑑賞することもしばし忘れてしまった^^;

 奥様は重度の聴覚障害を持っていて会話ができないという。
(55歳での難聴なので不自由も大変らしい)

 お二人は震災後沿岸部の被災地でボランティアを続けているのだ。
話に夢中で時間の経つのも忘れていた^^; ハッとして「お花を」と言ったら
被災地の皆さんに聞いていただいている歌を聴いてほしいという。

 「涙そうそう」 ご主人の幅のある豊かな歌声に合わせて奥様が手話で振付をされた。
 座って対話をされている時のほっそりとした綺麗な奥様が別人のように情感をたたえ、美しく舞った。そう、まるで舞台人のように哀切と希望を舞った。
 胸を打たれた。
 
 三番を歌い終わった奥さんのそばに行って手を握った。
舞踊を習った方かしらと聞いたら、習ってはいないが母親が吾妻流の先生だったそうだ。誉め言葉に奥様は主人の歌に想いが入っているからやり易いと言った。
 仮設住宅でも皆さん涙を流されるそうだ。そして振付を覚えたいともいう。

 奥様は主人は歌の後皆さんのお話を聴く奉仕をするが私は聞こえないので肩をもんであげたり手のマッサージをしたりすると言った。
 五つほどレパートリーを持っているがもっと増やしたいとも言った。

 庭であでやかに咲くボタンを見ていたら片隅のパセリを摘んでくださった。

 来し方のお話の中からは苦しみや悲しみもあったと伺えたが、豊かさとはこんな暮らしを言うのだろうなあと思った。

  初めての奥様とも心が通じ合ったと感じたのも嬉しかった。

病院通い2013/05/22 21:19

 囲碁で雑談をしていた時、新しく入った人が「毎日が忙しい」といった。
 他に何をされているのかと誰かが聞いてもう一カ所囲碁をやっていると答えてから
 「それに病院通いもあるし・・」といったら、一同笑ってしまった。
 病院通いは老人にとって仕事のようなものである^^;

 70歳越えの人のグループ故 元気そうに見えてもそれぞれ何かの薬を飲んでいる。
 そしてその薬をもらうために結構時間がかかる。

 私も差し迫った病気ではないが定期的に通う病院が三カ所もある^^;

 なるべく待ち時間が短く済むように受付の時間を選んだり作戦を立てるのだが上手くいかない^^;

 今日は予約してある内科に行った。患者さんは多かったのに思ったより早く診察が終わった。ラッキー^^。
 な~んて いさんで調剤薬局に行ったら座る椅子がないくらい混んでいて一時間以上待った。
 結局半日かかってしまった。

 数日前には眼科に行った。
眼科の混雑は内科以上だ。待つのはいつもの事だから大人しく待っていた。
 一時間が過ぎて、それから更に30分が経って周りを見回すと自分より後の人が呼ばれているような気がする。
 2時間10分待ったところで我慢ができず受付に行った。

 「あの~eと言い・」と言ったところで「e様~」と大きく診察室から呼ばれた。
 ザンネン!!後、ちょっと辛抱して待てばよかったな~~^^;;

 老人は病院の待合室をいっぱいにしながら平均寿命を延ばしているのかな~    (世界ランキング1位。男:80歳 女:86歳)

 自分は働く皆さんの納めたお金で医療保障を受けたりしているのにマジメニ生きているのかな??? ふと振り返ってみる ^^;;;;

ある日のバスで2013/05/24 19:11

 昼過ぎのバスに乗った。
一番前の座席に掛けた。
一つ停留所を過ぎても乗客がいない。

 あれ?後ろを振り向いたら乗客が私だけだった。
「貸し切り状態ですね」と運転手に声をかけた。
「この時間帯はいつもこんなものです。眠くて困ります」と笑う。
 ルール違反と知りつつ 居眠りされても困るので^^; 重ねて話しかけた。
 「失礼ですが、バスの運転は長いですか」
 「ん~43年かな。車掌として入社したので・・」
 「へえ、車掌さん!懐かしいですね~」

 次の停留所で足元のおぼつかないおじいさんが乗り込んだ。(会話は中止^^。)
 その人が運転手に降りる停留所を聞いた。
 運転手が何度も聞き返す。私も耳をそばたてたが聞き取れない。
 運転手が根気よく聞いて本人も納得したようで T字路の前の停留所で降り右に曲がって姿を消した。

 動き出したバスが信号が赤になり止まった。
 何とその時降りたばかりののおじいさんが戻ってきて バスに向かってくる。
 あら、と思っていると運転手がさっと降車用の前のドアを開け、おじいさんはすまして乗り込んだ。

 「ドアを開けてもらってよかったですね~」
 それから二つ目で降りた。降りるとき私を見てニコッと笑った。
 停留所名を間違えていたらしい。

 乗客も数人に増え、会話は途切れたまま終点になった。
「ありがとうございました」いつものようにお礼を言ってカードを差し込むと運転手もお礼を言ってニコッと笑った。

 ほんの短い触れ合いの中で、運転手の営業用とは違う笑顔とおじいさんの素朴な笑顔をいただいた。

 ルール違反を重ねたバスでの出来事だったがなんだか「田舎のバス」に乗ったみたいなほんわかした気持ちになった。

終活2013/05/28 21:06


 「終活」という言葉を聞く様になった。
 
 もとは個人が終焉の形を整える為にする準備を指していた。そういう人が増え、おのずと企業が「終活」の分野に動き出した。

 新聞に葬祭会館の折り込みチラシが入っていた。
会館見学会のお誘い。

 顔見知りの人が葬祭施設で催した講演を聞きに、あちこちに行ったと聞いた。
 先日は「エンディングノート」についてのはなしだったそうだ。
会費が500円で食事つき。無料のところもあるという。

 人間だれしも通らなければならない関門だからそのための勉強はした方がいいと思いはするがなかなか行動するには至らない。
 80の大台が近付いているのに「そのうち・・・」などと思っている^^;

 チラシを眺めていて「なんじゃこりゃ@@??」
なんと「入棺体験」とあった。
 う~む。?はて、?はて? その体験をどう生かすのか???

 下に書いてあった。「生前体験すると長生きすると言われています」
 アハハ  

 不遜にも笑ってしまった。
 こんな私が「終活」に取り掛かるのはいつのことやら^^;;;

徳仙丈山2013/05/30 20:56

 バスの日帰りツアーで徳仙丈山に行った。
《パンフの第一展望台》


 徳仙丈山は宮城県気仙沼市にある標高が711メートルの山。

 日本屈指のつつじの名所とも。その数50万株と言われ山全体が真っ赤に染まる。

 ツアーに参加するに当たり、二つの懸念があった。
①初心者向けとはいえ、ハイキングツアーであったこと。
②お天気が当日から崩れる予報だったこと。

 対策①は行った人に聞いた。
  「あそこは素晴らしい。登山道は整備されているから大丈夫」

 対策②は最強の晴れ女と同行することで^^。

 実際登って見ると昇り始めの坂が私にはきつく長かった。
幸い、下山してきた人が杖を譲ってくれた。
(入口に用意してある杖に気づかずに昇り始めた。)

《5/29の第一展望台》


 頂上までは40分ほどで着くという。

 もっときついところがあったらとビビり、第2展望台の所で下山した^^;
(上まで行った人の話ではつつじはまだだったという)

 お天気は視界は悪かったが傘をさすほどの事もなく、まあまあ良く耐えてくれた。
行く前に聞いた通り素晴らしいところだった。

 2時間の滞在時間では短すぎる。美しい林、鶯もさえずり自然の風を満喫できるいいところだ。

 「楽に歩けるよ」と事前にアドバイスくれた人は考えてみれば10歳も若い人たちだった^^;;;

 徳仙丈山の前に千厩の《蔵の交流施設》見学。前に娘夫婦と来た時は震災で崩れた壁などの修理中だったが施設全体が綺麗になっていた。

 

 帰りのバスは気仙沼から南三陸の沿岸を通った。
 遠くの海は何事もなかったように穏やかで静かだったがバスの通る車窓からは震災の傷跡が至る所で・・・そのたび、車内は「あぁ・・・」と言葉にならないため息が。

 朝、6時半に家を出て、夜9時無事帰宅。感謝。

最盛期の山を覆うツツジを見たいがチャンスは巡ってくるかな。

《オレンジスタジオ》