つれづれに ― 2019/07/05 20:30
宅地の隅にフキが自生している。
季節が来るとひょろひょろと伸びる。
どうにか食べられそうなのを10本ほど取った。
葉をちぎり茹でて皮むきのための包丁目を上下に入れた。
包丁目を入れながら昔を思い出した。
終戦は私が「国民学校初等科二年」の時だった。
当時家族は祖母と両親それに子供が7人も@@!
私は六番目の子として生まれた。
敗戦後の暮らしは食べることで大変だった。
両親はよく働いた。家の周りを畑にしてできた野菜を食料にした。
春になると両親は山へフキを取りに出かけた。山までは遠く10キロ以上はあった。
夜の明けきらぬ内にでかけ 午後になって重い荷を背負って帰った。
学校から帰ると茹でられたフキが積まれていて
祖母と母が皮むきの為の包丁目を入れた。
私も猫の手ならぬ子供の手で台所の板の間に座ってフキの皮むきを手伝った。
遊びのような楽しい時間だった。
フキは塩漬けにして保存した。
季節の移ろいに沿って収穫するものも変わった。
タケノコ、水菜、ワラビ、ぜんまい等、
ゼンマイは茹でて天日干しに 冬の保存食になった。
当時の主婦の仕事の多さと厳しさを思う
電化製品に囲まれている自分とは大違い。
厳しい暮らしの中で 反抗期の私にもいつも穏やかだった母。
母の年をとうに超えてしまった私だがいまだに我執にとらわれている、、、。
母さんのようにはなれなかった。
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