またまた物忘れ2017/07/09 22:31

今日は日曜日、33度と暑い日だった。
どこへも出ず家でダラダラ過ごした。

一週間前の日曜日も32度と暑い日だった。

毎日がサンデーの年寄りは外出をしない方がいいのだが
先週は○さんと街に出て「日本水彩画展・宮城水彩画展」を見た。
290点の大作を見て回るのは体力が要るが
 知っている人が数人出品していたので行ってみたかった。

人出の多い日曜の暑い日あえて出かけたのは訳がある。

高齢者ドライバーの事故が多いことから、後期高齢者ドライバー
は 適性検査を受けることになったそうで ○さんの受験日は火曜日、今からドキドキしているから受験の前日は空けておきたいとのことで絵を見るのは日曜日にしたのだった。

昨日は土曜日、○さんの車に乗せてもらって囲碁に行く途中
試験はパスしたと知った。
15点の絵を見せて時間をおいてから何があったかの記憶を試すものなど 案ずるより・・・で難しいものではなかったそうだ。

よかった、よかった。

というのは絵を見ての帰り、
バスを降りて歩いていたとき、南天が植えられているところを通った。
「この木」と言って二人とも黙った。なぜか名前が出てこなかったのである。
なんだっけ?と言いながら歩いているとラベンダーが見事に咲いている家の前を通った。
「この花」と言って二人はまたも黙った。
「物忘れ」には慣れている私もダブルパンチはショックだった。

○さんと別れて家に入った途端、「なんてん」は思い出した。

ラベンダーを思い出そうとするとフリージアが出てきた。
五十音をアから呟いてようやく「ラベンダー」を思い出したのだった^^;;;

 ○さんは5歳私より若いし物忘れもないしっかり者。テストは無事済ませたかなと内心でとは言え、失礼な心配をしたものだ ^^;;;;;;

最後の同期会2017/07/24 18:30



 私が通っていたころの小・中学校は村立だった。
その学校で9年間過ごした仲間が「80歳傘寿の祝い」を計画してくれた。
 最後の同期会というので参加した。
卒業120名中21名の出席であった。

 物故者の欄があった。
 37名載っていた。
 出席者より多い名前を一人一人なぞりながら80歳という年、自分の今立っている位置を改めて考えさせられた。
 はるばる歩いてきたものだなあと思う。

 終戦が小学二年の夏。物のない時代に育った私たち。

 数十年ぶりに会って、瞬間は分からなくてもじっと見つめていると
お爺ちゃん,お婆ちゃんの顔の中から 懐かしい顔が浮かんでくる不思議。

 愛称も自然に出て長い年月を飛び越えて昔の仲間に戻ってしまう。

 宴会は9時まで続き、部屋でも深夜までのおしゃべりだった。

 80年の中で名を成した人、幼少の頃と雰囲気の変わった人、それぞれの道があったのだろう。

 自分では足腰だけは自慢できると思っていたが同級生のパワーには圧倒された。

 皆のために同期会を開いてくださった幹事の皆さんに感謝。

 「最後の同期会」は寂しいからオリンピックが終わった年に又会いましょうと約束して別れた。

偶然2017/07/30 17:05

 昨日は団地の夏祭りだった。
夏祭りの月に当番が回ってくることもなかったので
十年近く会場に行くこともなかった。

 四時ごろ△さんの奥様が見えてのど自慢に出るので見に来てとのことで始まる5時ころ会場に行った。

 校庭に櫓を組んで舞台をしつらえてあったが時々雨が落ちている
生憎のお天気、急遽体育館に変更になり大変な混みようだった。

 △さんは同郷で私より6年ほど若い、 少年時代のことを知っている。
その△さんが5分くらいの同じ団地に住んでいると知ったのは
、絵の仲間が雑談の中でご近所の△さんのことを話したとき
姓が私の村の一部に多い姓だったことから 私の知っている△さんと分かったのだった。

 のど自慢に出られると聞いて何をなさるのかすぐ分かった。
△さんはいい声を持っていて 奥様は手話をされる。
 東日本大震災の後も すぐに仮設住宅や避難所をお二人で回られていた。

 開演まで少し時間があった。
 空いている隣の席に来たのがなんとサロンの仲間、ご主人と一緒だった。
 さらに驚いたのが △さんの応援に来たのだという。

 △さんは「ふるさと」を歌われ奥様は手話を使い体全体でしなやかに踊られた。
心にしみこむ感動的なものだった。 

 結果、 お二人は優勝したのだった。

 よかった、よかった!!!  なんだか誇らしい気持ちになった。

 人のつながりは ふとした偶然から生まれるものなのだなあと思った