記憶をたどる2016/07/25 18:23


 「山路を登りながらこう考えた・・・」
唐突に夏目漱石「草枕」の冒頭の文章が口を出た。
 
 「智に働けば角が立つ、、情にさおさせば流される、
意地を通せば窮屈だ。とかく人の世は住みにくい。・・・・
・・・・・・・・・・
・・・住みにくいと悟ったとき、詩が生まれて絵ができる」
ここまでするすると出た。
 「年寄りは昔のことは覚えているが最近のことは覚えていない」とは
よく言ったものだ。
 PCを開いて確かめた。
 文字の抜けているところもあるがまあ合っている。
 

 漱石のものでは若いころ「吾輩は猫である」「こころ」「坊ちゃん」「それから」など
読んだが「草枕」は途中で投げ出したのではないかと思う。
 今、読んでみると実に面白い。
 
 「草枕」は「吾輩は猫である」と初期の作品(40歳ころ)という。
 
 二章まで読んで夫の「漱石全集10巻」を思い出し、本はやっぱり縦文字だろうと、
移行した。
 
 その本が昭和28年発行で(380円)。夫二十歳のころ。
高卒の本好きの若者がサラリーをはたいて求めたのだろう。

 本の中身は旧仮名遣い、旧漢字。
活字も細かく老眼には難儀だったがルビがあったので、
漱石さんの選んだ言葉をどうにか読み切った。





 漱石は文豪の名にふさわしい才に溢れた人だったと思う。
 (漢詩、絵画、書、俳句など・・・)
 
 「吾輩は猫である」の、冒頭の文も記憶に残っている。
「吾輩は猫である。名前はまだない。どこで生まれたかとんと見当がつかぬ。
なんでも薄暗いじめじめしたところでにゃーにゃー泣いていたことだけは記憶している」
 
 どちらの文章も非常にリズミカルだ。ゆえに記憶に入りやすかったのかも。
 
 漱石が俳句に造詣が深かった故ではないかと勝手に想像している。
 
昔の文豪と呼ばれた人たちは鴎外や藤村にしろ重厚でスケールが大きかったと思う。
 


コメント

_ ako ― 2016/07/26 16:25

朝日新聞で、漱石没後100年記念の特別連載をしています。
今は「吾輩は猫である」。
何度も挑戦しては最後まで読めなかった本なのでよい機会だと
思い読んでいます。(週四回)

この連載で「こころ」「門」「三四郎」「それから」「道草」など、昔読んだ本も
はじめてだったのも改めて読みました。
若いころは訳もわからなくただ読んでいたんだなぁと今はしみじみと(笑)

「草枕」の冒頭は中学か高校の教科書にありましたね。
家に本があったので無理に読んだけど、面白くなかったです。

_ e-ばあ ― 2016/07/26 21:02

akoさん
ありがとう。

「草枕」は小説というよりは随筆風にさらりとして
フッと笑ってしまうところが多くて面白かったです。

昔の文章は暗唱できても 昨日面白く読んだ本の中身が
さっぱりわからない。 病気が進んでいる??(>-<)

_ たらのめめ ― 2016/07/28 14:36

漱石より龍之介が好きでした。
二人とも俳句をやっていましたよね。

漱石の記憶は恐妻家だということ・・・かな

_ e-ばあ ― 2016/07/29 21:10

たらのめめさん
コメントをありがとうございます。

映画のお話が聞けなくて寂しく思っています。

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