内科の通信簿2016/07/06 22:35



  6週間ごとに予約している内科の受診日だった。

 総合病院はいつも混雑している。
長い待ち時間の後 診察室に入ると

 「変わりはありませんでしたか」
 「はい、変わりありません」

 それから前を開けて聴診器、ぐるりと座っている椅子を回して
背中に聴診器。

 「大丈夫ですね。いつものお薬(降圧剤、コレステロール)をだしましょう」

 通常はこんな感じで五分ほどで診察は終わる。

 
 今日はいつもと違ってドキドキして診察室に入った。
 前回の採血検査の結果が出る日だった。
 
 なぜドキドキするかと言えば悪い結果が出るような生活をしているから^^;;
 
 私は甘いものが大好きで饅頭が止められないのである。
 
 検査のたびにドキドキする思いもお菓子を前にすると忘れてしまう。
 正に、バカとしか言いようがない。

  検査の結果を待った。
 「全く 問題はありませんね。前回の貧血も改善されていますし、、、。
後でゆっくり見てください」とプリントされた用紙を渡された。

 40項目以上ずらりと並んでいる数字に「L低」も「H高」も付いてない。

 ああ、よかった。(←ジャ、ナイデショ!!!)

 何回も同じ後悔を繰り返している自分。

 秋の検査はハラハラドキドキしないで受けられるだろうか。

朝ドラ2016/07/09 22:06

  朝ドラの「まれ」までは見ていたが、「あさが来た」は見なかった。

 テレビドラマは見だすと次回が気になって毎回見ずにはいられなくなる。
 「あさが来た」の評判は誰に聞いても「おもしろいよ」と返ってきたが見ないで過ごした。

 朝ドラを BSで7:30から見ていたが終わってもスイッチを
切らないで だらだらテレビを見続けることが多くて朝の仕事が片付かない。
 グータラ人は初めからドラマを見ない方がいいと思ったから止めた。

  「トト姉ちゃん」が始まったがスイッチを入れなかった。

 しばらくしてこのドラマが「暮らしの手帳」を生み出した女性をモデルにしたフィクションだと知った。

 終戦後 「婦人倶楽部」や「主婦の友」などの婦人雑誌の中で一線を画した 「暮らしの手帳」は ユニークで斬新な雑誌だった。

 それにしても「暮らしの手帳」の生みの親が女性だったとは!!
 
 「暮らしの手帳」と言えば花森安治としか思っていなかった。
 牧歌的な暖かい挿絵とおかっぱの個性的な風貌。

 商品テストなど「ビックリ」と「なるほど」の企画が次々と出た。
トースターのテストではパンを何万枚も焼いてテストした。
 公平さを保つために雑誌に広告の掲載はご法度だった。

 若いころ愛読した「暮らしの手帳」が主役(?)ならと 俄かに興味が沸いてドラマを見始めた。

 う~む、途中からのせいか平和すぎてチト盛り上がりに欠けるかな??

 が、今朝から「花森安治」が登場した。
 どんな、花森が描かれるのか「暮らしの手帳」の裏側でどんなドラマがあったのか。見ていきたいと思う。

お参り2016/07/12 19:51

  明日の天気予報が雨と出ていた。
朝から暑かったが雨よりはいいだろうと、今日 墓参りに行った。
  
 バスを降りて少しきつい坂を上る、いつものように途中の花屋さんに立ち寄る。
 珍しいことに客がいない。

 花を包みながら女主人が言った。
 「登ってこられたのですか」
 「はい、これからが大変です^^。」
 「よく歩けますね 私にはとても・・・」
 
 女主人の言葉に気をよくしてさらに上り坂を歩いて行った。

 人とも車とも会わない。ウィークデーの午前だったせいかもしれない。

 管理棟の駐車場のところで「ぎょっ!」「熊出没注意」の立て札。
 先月きたときはなかったものだ。
 ここまで来てお参りしないわけにはいかない。

 広い広い苑内はし~んと静まり返っている。
  歩く人がいない時でも車は通るのだがその車さえ通らなかった。

 これまではその静寂を心地よく感じていたのだが・・・
クマが現れたら・・・・

 あたふたとお参りを済ませた。(読経は省略^^;;;)

 管理棟でお手洗いを拝借して
事務室を見たら窓が開いていて二人机に向かっていた。
 
 「お仕事中すみません。熊が出たのですか」
「はい、先月末に二回目撃されています」
 
 男性が墓苑の地図を広げて目撃個所を示してくれた。

 このところ住宅地にも熊が出るという新聞記事が多い。

 誰か連れがいたらどうということもなかっただろうが、
まじめに怖かった。




加齢2016/07/15 21:00

 

 通販に発注の品が届くことになっていた。

 午後から出かける用事が出来、 午前中に来てくれるといいなと思いながら
家事をしていた。

 10時にチャイムが鳴った。
 あっ!来た!

 独居老人宅のチャイムが鳴ることは滅多にない。
ドアを開けたら思った通り荷物を持った配送の青年が立っていた。

 早く来てもらえてよかった!

 受け取り印を押して 配達人が渡してくれた荷をほどいた。
 その時「あれ?いつもの箱と違う」とふと思ったのは確か。
構わず包装紙をはがすと「loyalfruit」とあった。

 アチャ~ 差出人を確かめると 知人からのお中元だった。

  もともとの 「オッチョコチョイ」と「思い込み」の性格に「加齢」がプラスして
 最近はこんなことが起きる^^;;;
 
 若いころは斜めに読んでもピピッと理解できたことが 文字は読めているのに
状況がつかめないなど 理解に時間がかかるようになった気がする^^;;;;

 ま、 肝心の通販の商品も11時ごろ無事届いたし、
老いの暮らしに時間はたっぷりなのだから・・・と、己を慰めつつ・・
 それなりの歩みを続けている79歳の夏。



二足歩行の宿命2016/07/19 21:03




 祖母は81歳で亡くなったが腰の曲がっていることを気にしていた。
 
 母は母親のそんな嘆きを聞いて自分は腰の曲がった年寄りには
なりたくないと言っていたが76歳で亡くなるころには
願いとは裏腹に腰の曲がった婆さんになっていた。

  何百万年前、人は進化の過程で二足歩行になった。

 直立で歩行するのは人間だけで、脊髄には負担が大きい。
腰痛は二足歩行の宿命と言われている。
 
 私の若いころの年寄りは腰が曲がっていた。
農作業などで前かがみの姿勢でいることが多かったからだろう。
 農耕民族には腰痛が多く、狩猟民族は足を使うから少ないともいわれる。
 
 今、周りには腰の曲がった年寄りを見かけない。
 私たち姉兄五人も腰は曲がっていない。
 腰の曲がっている人は見かけなくなったが杖を持っている人は多い。
駅で待ち合わせをしていると行きかう人の中に杖を持っている人の多さに驚く。
 
 86歳の姉は最近腰が痛いと言い、私も痛みはないが膝の不調を抱えている。
 二足歩行の宿命かもしれない。

 ○さんは40年前に腰の手術を受けた。
 杖を使っているが歩行が不自由そうだ。
 
 一年ほどの間に 知り合いが三人腰の手術をした。

 リハビリなど、本人の大変な努力の結果もあるなのだろうが、
スムーズな綺麗な歩き方をしている。
 
 40年前とは手術も違っているのだろう 医学の進歩を感じる。
 

街を歩けば2016/07/24 21:10

  ボラを辞めてから外出が減っている。
特に街まで出かけることが少なくなった。

 金曜日娘夫婦が泊まった。
 Kさんの車が新しくなっていた。
 婆でも新しい車には乗ってみたい^^;
 土曜日、山形までの用事に誘われたが私は一緒しなかった。

 四時ごろ山形から戻り二人は娘の家に帰ることになった。

 娘が「回り道をして街のおいしいフルーツパーラーに
寄ろうと思うが一緒にどう?」と言う。
 「おお!新車試乗とスイーツのセット!いいねえ!」

 勧められて 娘と変わって助手席に。
 両側に続く豊かな街路樹の緑を愛でながらのドライブ。

 パーラーでは山盛りのフルーツパフェを血圧のことも
 コレステロールのことも忘れて完食した^^;;;

 今日は日曜日、曇り、気温も最高24度と過ごしやすかった。
お中元を一件忘れたのを思い出し街まで出た。
 
 一番町はお祭り日で御神輿が3台も出て、スズメ踊りやら大層な賑わいだった。
 
 昨日は車で通ったから感じなかったが通りを歩くと人がやたらに多いと思った。
 毎日過ごしているのんびりした空気との違い。
 自分の感覚が、そんなゆったりした環境に順応しているのだと感じた。 

 時々は用事を作ってでも街に出るのもいいかもしれない。


付録。
 ●商店街を歩いていたとき、すぐ後ろを歩いていた二人連れの会話。
 女「3000円の20%引きっていくらなの」
 男「3000円の20%引き?」
 女「そう、3000円の20%」男「・・・・」
   (おいおい、3✖8=24・・・2400円でしょうが)
 後ろを振り返るわけにはいかなかったがそんなに難しい計算?

 ●バスまでの時間があったのでベンチにかけていた。
  隣のベンチに若い夫婦が掛けて2年生位の子がその前で
 右や左や歩いたり飛んだり、活発に動いていた。
 (こんなに動いても疲れないんだ)と思いながら眺めていたら
前に進んで そのまま後ろ向きで歩いた。姿勢も速度も前に進むときと少しも変わらない。
 (これはただものではない)と思っていたら、こんどは腕を横に開いたり足を上げたりしだした。
 (そっか、バレエ習ってるんだ)と納得^^。

  最後に彼女は母親の前で片足をひき 両手を広げてお辞儀をした。

 ここでオッチョコ婆は思わずパチパチ。
 母親が私の方を向いてにっこりした。

記憶をたどる2016/07/25 18:23


 「山路を登りながらこう考えた・・・」
唐突に夏目漱石「草枕」の冒頭の文章が口を出た。
 
 「智に働けば角が立つ、、情にさおさせば流される、
意地を通せば窮屈だ。とかく人の世は住みにくい。・・・・
・・・・・・・・・・
・・・住みにくいと悟ったとき、詩が生まれて絵ができる」
ここまでするすると出た。
 「年寄りは昔のことは覚えているが最近のことは覚えていない」とは
よく言ったものだ。
 PCを開いて確かめた。
 文字の抜けているところもあるがまあ合っている。
 

 漱石のものでは若いころ「吾輩は猫である」「こころ」「坊ちゃん」「それから」など
読んだが「草枕」は途中で投げ出したのではないかと思う。
 今、読んでみると実に面白い。
 
 「草枕」は「吾輩は猫である」と初期の作品(40歳ころ)という。
 
 二章まで読んで夫の「漱石全集10巻」を思い出し、本はやっぱり縦文字だろうと、
移行した。
 
 その本が昭和28年発行で(380円)。夫二十歳のころ。
高卒の本好きの若者がサラリーをはたいて求めたのだろう。

 本の中身は旧仮名遣い、旧漢字。
活字も細かく老眼には難儀だったがルビがあったので、
漱石さんの選んだ言葉をどうにか読み切った。





 漱石は文豪の名にふさわしい才に溢れた人だったと思う。
 (漢詩、絵画、書、俳句など・・・)
 
 「吾輩は猫である」の、冒頭の文も記憶に残っている。
「吾輩は猫である。名前はまだない。どこで生まれたかとんと見当がつかぬ。
なんでも薄暗いじめじめしたところでにゃーにゃー泣いていたことだけは記憶している」
 
 どちらの文章も非常にリズミカルだ。ゆえに記憶に入りやすかったのかも。
 
 漱石が俳句に造詣が深かった故ではないかと勝手に想像している。
 
昔の文豪と呼ばれた人たちは鴎外や藤村にしろ重厚でスケールが大きかったと思う。
 


梅雨明け2016/07/31 17:16


 29日に梅雨明けの報道があった。

 29日は友達と冷房の効いたコーヒー店で長いおしゃべりをして
終わって外に出たらカァ~ッと日が照っていた。
 
 七月はこれまで暑い日はあっても続くわけでもなく
30度を超えた日は3回だった。

 今夏はまだ一度も冷房を入れてない。

 29日に梅雨が明けて、29日、30日と続けて31度だった。

 今日31日も最高は31度だが風が入るのでこのくらいなら、まだ大丈夫。
 
さいわい、 年寄りには外に出る決まった仕事があるわけでもない。
 
 寒い冬の日、確か「寒いよりは暑いのが我慢できる」と言った覚えがある。
 対して友が言った。
 「寒いのは着物。暖房で対策ができるが暑さはだるいとか体調が狂うから嫌」

  これからが夏の本番。暑さが続くだろう。

 もし 猛暑が続いても 
 「暑さよりは寒さがまだ我慢できる」なんて言ってはダメですョ^^;;;


 睡眠をしっかり、水分補給怠りなく熱中症に気を付けようと思う。