友遠方より来る① ― 2011/10/01 14:04
高校時代の友,Yさんが新幹線でやってきた。
「eさんとこに遊びに行っていい?」と言われたのはかなり前のことでお互い予定の詰まった中で調整して実現したことだった。
「何処か見たいところがあるの?」
「ううん、二泊させてね」「いいよ」
改札出口から出てきた彼女を見て、
「え?こんなおばあちゃんだったっけ?」
5年前に会った時も染めていない頭髪はすでに白かったが、今回は細い体に大きな荷物が重そうだった。
ご同様にYさんの方も私を見て「え?こんなおばあちゃんだったっけ?」と思ったに違いない。お互い来年は後期高齢者だ。
だけどおしゃべりが始まるとその驚きは消え たちまち十代の頃の二人に戻った。
Yさんがわがボロ家に来るのは初めてである。
話しているうちに、Yさんの目的が見えてきた^^。
一人暮らしになった私への慰問、夫への焼香、大震災のお見舞い、仙台での買い物。(被災地復興支援の気持ち)など。
三日間 二婆のおしゃべりは起きている限り続いた^^;
私もおしゃべりと自認しているが、彼女のおしゃべりにはとてもかなわなかった^^。
寝食をともにしたからこそ聞けた言葉や見えた振る舞い。
昔のままに残っているものと 私とはかけ離れてしまったものがあった。 ・・・60年も経っているからな~
半年早生まれのYさんだが、すべての面で大きく水をあけて先を泳いでいるお姉さんだった^^;
「eさんとこに遊びに行っていい?」と言われたのはかなり前のことでお互い予定の詰まった中で調整して実現したことだった。
「何処か見たいところがあるの?」
「ううん、二泊させてね」「いいよ」
改札出口から出てきた彼女を見て、
「え?こんなおばあちゃんだったっけ?」
5年前に会った時も染めていない頭髪はすでに白かったが、今回は細い体に大きな荷物が重そうだった。
ご同様にYさんの方も私を見て「え?こんなおばあちゃんだったっけ?」と思ったに違いない。お互い来年は後期高齢者だ。
だけどおしゃべりが始まるとその驚きは消え たちまち十代の頃の二人に戻った。
Yさんがわがボロ家に来るのは初めてである。
話しているうちに、Yさんの目的が見えてきた^^。
一人暮らしになった私への慰問、夫への焼香、大震災のお見舞い、仙台での買い物。(被災地復興支援の気持ち)など。
三日間 二婆のおしゃべりは起きている限り続いた^^;
私もおしゃべりと自認しているが、彼女のおしゃべりにはとてもかなわなかった^^。
寝食をともにしたからこそ聞けた言葉や見えた振る舞い。
昔のままに残っているものと 私とはかけ離れてしまったものがあった。 ・・・60年も経っているからな~
半年早生まれのYさんだが、すべての面で大きく水をあけて先を泳いでいるお姉さんだった^^;
友遠方より・・・② ― 2011/10/01 14:16
《きんもくせいが咲きました》
「茶町 とぎくて・・・」
Yさんには高校時代 隣のクラスにKチャンと言う友達がいた。(顔は知っている)
小、中学校も一緒の幼馴染で今も親しくしているそうだ。
そのKさんの長姉が私の住んでいる区内に90歳で一人暮らしをしているので案内をしてほしいとYさんが言う。
旅の目的の一つでもあったらしい。
出迎えてくださったK姉を見て驚いた。
背筋もしゃんとしてお化粧をして私たちより若くとても90歳とは思えない。
ご挨拶だけだから30分くらい。とYさんは言っていたのだが
お座敷のテーブルには色々とお皿が並んでいる。
K姉も同窓(K姉の当時は高女)ということもあり、二人とも初対面なのに話は盛り上がった。
ご自分で作られたご馳走の中に卵寒天があった。
どうぞと勧めて「茶町とぎくて・・」と言った。
ん?怪訝な顔の私たちへの説明。
「茶町とぎくて・・」は「茶町が遠いので・・」という秋田弁。
秋田市内では突然の来客にお菓子を切らしていたり、煮豆やボタモチの甘さが足りない不調法な時の言い訳として「茶町とぎくて・・・」と使われていたそうだ。
佐竹藩政時代、茶や砂糖などは専売権が与えられ茶町以外では砂糖は買えなかった。その名残である。
Yさん家族は東京から移り住み、私は秋田も在郷の方の出でその言葉は聞いたことがなかった。
何だかしゃれた江戸の小話でも聞いているようで面白かった。
卵寄せは丁度良い甘さだった。
30分のつもりが秋田の「稲庭うどん」までご馳走になってしまった。
すごい90歳もいるものだ。 あっぱれな90歳!!
「茶町 とぎくて・・・」
Yさんには高校時代 隣のクラスにKチャンと言う友達がいた。(顔は知っている)
小、中学校も一緒の幼馴染で今も親しくしているそうだ。
そのKさんの長姉が私の住んでいる区内に90歳で一人暮らしをしているので案内をしてほしいとYさんが言う。
旅の目的の一つでもあったらしい。
出迎えてくださったK姉を見て驚いた。
背筋もしゃんとしてお化粧をして私たちより若くとても90歳とは思えない。
ご挨拶だけだから30分くらい。とYさんは言っていたのだが
お座敷のテーブルには色々とお皿が並んでいる。
K姉も同窓(K姉の当時は高女)ということもあり、二人とも初対面なのに話は盛り上がった。
ご自分で作られたご馳走の中に卵寒天があった。
どうぞと勧めて「茶町とぎくて・・」と言った。
ん?怪訝な顔の私たちへの説明。
「茶町とぎくて・・」は「茶町が遠いので・・」という秋田弁。
秋田市内では突然の来客にお菓子を切らしていたり、煮豆やボタモチの甘さが足りない不調法な時の言い訳として「茶町とぎくて・・・」と使われていたそうだ。
佐竹藩政時代、茶や砂糖などは専売権が与えられ茶町以外では砂糖は買えなかった。その名残である。
Yさん家族は東京から移り住み、私は秋田も在郷の方の出でその言葉は聞いたことがなかった。
何だかしゃれた江戸の小話でも聞いているようで面白かった。
卵寄せは丁度良い甘さだった。
30分のつもりが秋田の「稲庭うどん」までご馳走になってしまった。
すごい90歳もいるものだ。 あっぱれな90歳!!
友遠方より・・・③ ― 2011/10/02 11:27
《ラブレター事件》
「高2の時 ラブレター事件があったわね」
「え??・・・あ~あのこと」
私の問いにYさんは笑いだした。
私は最寄り駅まで徒歩で一時間近くかかる村から通学していた。(通学片道二時間)
そういう生徒を「汽車通」といい市内の自宅から通学している人は「市内」で なんとなく違う雰囲気があった。
市内の中学校からの生徒は華やかで堂々としている人が多かった。
私は汽車通の中でも勉強の出来が悪く今で言う「落ちこぼれ」当時は落第予備軍で教室ではおとなしくしていた^^;
ある日、休み時間に「市内」の人たちが集まって大騒ぎをしていた。
Yさんが登校途中でいつも会う男子校の生徒に手紙を渡された。
その手紙を皆で開いてわーわー言っている所だった。
当のYさんは困った様子だったが、周りがこれはあちらの男子校に送りつけようと言う話になっていた。
相手の人が気の毒だな~と思いはしたが声を出す勇気もなく、
その頃はYさんとも特別親しくなかったので黙っていた。
実際そのラブレターが送りつけられたかも顛末も分からないでいた。
60年経って当事者のYさんから聞いた事の真相^^。
登校中、いつも同じ所で会う男子校の人がいた。
その日 封筒を差し出して彼は言った。「これを○組の××子さんに渡してもらえませんか」
Yさんは宛名があったので疑問もなく「はい」と受けとった。
学校に着くとまっすぐに放送室に行った。
所が校内放送をしても該当者が現れなかったのでその封筒はYさんの所に戻ってきた。
「困ったわ」というYさんに周りが集まって、開いてみようよ、何これ!Yさんへのラブレターじゃないのと大騒ぎになったというわけ。
「あれから 向こうの学校ではどうなったかしらね~」と私が言うと
「しらないわ」と言って、Yさんは「あ、通学路を変えたから その後は会うこともなかったし」とそっけなく答えた。
まあ、こんなことまでほじくり返して種を探しているから
何時間でも、何日間でもおしゃべりは続くのですね~~^^。
「高2の時 ラブレター事件があったわね」
「え??・・・あ~あのこと」
私の問いにYさんは笑いだした。
私は最寄り駅まで徒歩で一時間近くかかる村から通学していた。(通学片道二時間)
そういう生徒を「汽車通」といい市内の自宅から通学している人は「市内」で なんとなく違う雰囲気があった。
市内の中学校からの生徒は華やかで堂々としている人が多かった。
私は汽車通の中でも勉強の出来が悪く今で言う「落ちこぼれ」当時は落第予備軍で教室ではおとなしくしていた^^;
ある日、休み時間に「市内」の人たちが集まって大騒ぎをしていた。
Yさんが登校途中でいつも会う男子校の生徒に手紙を渡された。
その手紙を皆で開いてわーわー言っている所だった。
当のYさんは困った様子だったが、周りがこれはあちらの男子校に送りつけようと言う話になっていた。
相手の人が気の毒だな~と思いはしたが声を出す勇気もなく、
その頃はYさんとも特別親しくなかったので黙っていた。
実際そのラブレターが送りつけられたかも顛末も分からないでいた。
60年経って当事者のYさんから聞いた事の真相^^。
登校中、いつも同じ所で会う男子校の人がいた。
その日 封筒を差し出して彼は言った。「これを○組の××子さんに渡してもらえませんか」
Yさんは宛名があったので疑問もなく「はい」と受けとった。
学校に着くとまっすぐに放送室に行った。
所が校内放送をしても該当者が現れなかったのでその封筒はYさんの所に戻ってきた。
「困ったわ」というYさんに周りが集まって、開いてみようよ、何これ!Yさんへのラブレターじゃないのと大騒ぎになったというわけ。
「あれから 向こうの学校ではどうなったかしらね~」と私が言うと
「しらないわ」と言って、Yさんは「あ、通学路を変えたから その後は会うこともなかったし」とそっけなく答えた。
まあ、こんなことまでほじくり返して種を探しているから
何時間でも、何日間でもおしゃべりは続くのですね~~^^。
酔芙蓉 ― 2011/10/03 18:36
散歩 ― 2011/10/03 18:38
久しぶりに住宅地を抜けて歩いてみた。
両側の並木が少し色づいている。
朝も肌寒く感じるようになって季節は確実に動いている。
おや、泉ヶ岳の山肌も少し紫がかっているよ。
田んぼの稲はほとんど収穫を終えている。
広い道路から逸れて角の家に酔芙蓉の木があった。
朝に白い蕾を開き昼はピンクになり夕方さらに濃い色に変わる。
お酒飲みの顔がだんだん赤くなるのに似ていることから「酔う芙蓉」が転じての名前だと言う。
白は清楚に、ピンクは可憐に葉っぱも優しげで澄んだ青空によく似合っていた。
学校帰りの一年生に会った。
女の子がランドセルに黄色のカバーを付けて三人で歩いていた。
一人が大きな声で歌っていた。
♪私は写真が大好きだ・・・・・
いつもパパが撮ってくれるんだ・・・♪
即興の歌を元気に歌うのでパチパチと手を叩いたら止めてしまった。
ゴメン!
その子は道端のハーブらしい葉っぱをちぎって手でもみ「ミントの匂いがするんだよ」と友達の顔に近づけて、ふと気づいたように見ていた私にも同じようにしてくれた^^。
ちょっと歩くと嬉しいことに出あえる。
横取り ― 2011/10/08 21:45
プールからの帰りお隣の所まで来たら丁度ご主人が車から降りたところであった。
「こんにちは」と挨拶をして何の気なしにご主人が手に持っている裸のカボチャの方に眼がいってしまった。
ご主人はすぐに「はい、どうぞ!」と笑ってカボチャを差し出した。
「いいえ、いいえ!」すっかり慌てて手を振った。
欲しかったわけではない。
懸命に断り続けていたのになぜかカボチャはわが手にあった^^;
畑からの帰りだったらしい。
一人では食べきれないからカボチャはそのままになっている。
今頃になって、
夕食にと思って収穫したものかもしれない。
あの時すぐに 食べきれるだけ戴いて 後はお返ししてもよかったのにな~と もにょもにょ考えている^^; 回転遅すぎ(> <)
食育 ― 2011/10/14 17:56
町内の寄り合いの折、ある父親が「家はしつけと言えば箸の持ち方を厳しく言った位だ」と言うのを聞いて妙に感心したことがあった。
「食」に関する諸々は「生きる姿勢」に繋がることが多いような気がする。
「箸の持ち方」「いただきます」「姿勢」などの形と同時に「好き嫌いなく食べる」も大事だと思う。
・・・・かく言う私は恥ずかしながらかなりの偏食家。
子供の頃に好き嫌いを言っていても大きくなると直る人が多いのに
小さい頃は親に甘やかされ 家庭を持ってからは自分の我儘を通してきた結果この年になっても偏食が直らない。お子様のままで年寄になってしまった(> <)
さすがによそでご馳走になる時はさりげなく飲み込むが^^; 特にぬるぬる系は弱い。
「ぬるぬる」は体にいいと言われるが 私の偏りは体にいいものは嫌いで悪いものが好きな困った傾向だ。
そのくせ 納豆はOKと言うのだから 根拠のない単なる「食わず嫌い」と言える。
プールの人から畑で摘み採ったモロヘイヤを戴いた。
モロヘイヤはクレオパトラも食したと言われる植物繊維も多く高栄養の野菜だが粘りがあるので敬遠していた。
良い調理法はと ネットで調べた。
芝エビと混ぜてかき揚げにしたら粘りが取れてパリパリとおいしかった。
さらにいい情報を得た。納豆に混ぜて食べる方法。
モロヘイヤを茹でて冷凍し、納豆を戴くときに凍ったままを削って納豆に混ぜている。
納豆のねばりに消されてモロヘイヤのヌルヌルが気にならない^^.
偏食の割には自分は健康でこの年まで来たが 子供たちには悪いことをしたなあと思っても 後の祭りである。
PCがフリーズ ― 2011/10/16 10:00
扱いが悪いのかこのところパソコンが しばしばフリーズする。
機械音痴なのでそのたびにドキッとする。
プールから帰って昼食をとって、いつもはPCを開くのだが 代わりにTVのスイッチを入れた。
映画が始まったところだった。
「運動靴と赤い金魚」イラン映画、
何の知識もない映画だったが、感動!
物語は・・・・
貧しい暮らしの幼い兄が妹の靴を失くしたが 親に言えない。
靴がないと学校に行けない。
靴がないことから いろいろな出来ごとに会う・・・・というもの。
貧しさの中でも不平を言わない。理不尽な責めにも言い訳をしない。
少年の哀しみを耐えている澄んだ瞳を見ていると
「尊厳」という言葉が浮かぶ。人間として最も大事なものが幼い彼の中にしっかりと侵されずにあるのを見る。
少年の健気さが心に残る映画だった。
思いっきり涙を流した。
PCから離れて こんな時間もいいかな。
でも、PCさんご機嫌直してほしいな~~
*1997年 賞も獲得した有名な映画なんだって^^;;
機械音痴なのでそのたびにドキッとする。
プールから帰って昼食をとって、いつもはPCを開くのだが 代わりにTVのスイッチを入れた。
映画が始まったところだった。
「運動靴と赤い金魚」イラン映画、
何の知識もない映画だったが、感動!
物語は・・・・
貧しい暮らしの幼い兄が妹の靴を失くしたが 親に言えない。
靴がないと学校に行けない。
靴がないことから いろいろな出来ごとに会う・・・・というもの。
貧しさの中でも不平を言わない。理不尽な責めにも言い訳をしない。
少年の哀しみを耐えている澄んだ瞳を見ていると
「尊厳」という言葉が浮かぶ。人間として最も大事なものが幼い彼の中にしっかりと侵されずにあるのを見る。
少年の健気さが心に残る映画だった。
思いっきり涙を流した。
PCから離れて こんな時間もいいかな。
でも、PCさんご機嫌直してほしいな~~
*1997年 賞も獲得した有名な映画なんだって^^;;
銀もくせい ― 2011/10/17 15:34
きまぐれ散歩 ― 2011/10/17 16:02
日の傾きも早くなって秋は急ぎ足だ。
ふくよかな香りを振りまいていたきんもくせいも金色の小さな花を路上に散らしている。
遊歩道にぎんもくせいが咲いていた。
金木製の咲き終わるころに白い花を開き香りも控えめで
私はこちらが好きかも。
「あれ?ふじばかま?」と思い撮ったのが上の写真。
(違っていたら教えてね)
もっとも今のフジバカマは園芸用に改良されたものがほとんどだとか。
フジバカマは秋の七草の一つだが秋の七草を覚えるには5・7・5・7・7の短歌のリズムに乗せると良いそうだ。
「萩 桔梗、くず フジバカマ、おみなえし、 すすき なでしこ、秋の七草」
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