防災の日 ― 2011/09/01 21:21
今日、9月1日は「防災の日」で例年は防災訓練の時期だが
復興の遅れや悲惨な記憶のために防災訓練を見送るところが多い。
購読している地方紙のコラムのテーマは3・11以来 震災関連がほとんどだ。
今朝の「河北春秋」に
大きな被害を受けた沿岸部の釜石市で小中学生のほとんどが津波の犠牲を免れたことが取り上げられていた。
このことは私も新聞やTVから「釜石の奇跡」として知っていた。
「勇気をもって、最初に逃げろ、逃げるために最善を尽くせ、ハザードマップを信じるな」普段から繰り返しそう教え訓練していた。
あの日中学生たちは避難場所が危ないと直感し小学生や園児の手を引いて高台に逃げた中学生もいたそうだ。
『防災の柱は自分で考えて、判断し行動すること』
訓練を繰り返すことで直感を磨いていれば《想定外》の災害にも的確な判断が出来るということだろう。
立派な中学生の話の後で・・・
恥ずかしい私ごと。
先日海岸地域を歩いていた時、
娘が「今、地震が来たらどうする?」というので
「倒れそうな建物もないからじっとして収まるのを待つかな」と答えた。
「それから?」
「それからって?」
「だめだめ、津波が来るんだよ」
「アッ!」
震災後連日のようにTVや新聞で衝撃的な画面を見、未だに悲惨な災害のニュースが続いているのを見ているのに、何ということだろう!
私は自分の津波認識ゼロに愕然とした。
復興の遅れや悲惨な記憶のために防災訓練を見送るところが多い。
購読している地方紙のコラムのテーマは3・11以来 震災関連がほとんどだ。
今朝の「河北春秋」に
大きな被害を受けた沿岸部の釜石市で小中学生のほとんどが津波の犠牲を免れたことが取り上げられていた。
このことは私も新聞やTVから「釜石の奇跡」として知っていた。
「勇気をもって、最初に逃げろ、逃げるために最善を尽くせ、ハザードマップを信じるな」普段から繰り返しそう教え訓練していた。
あの日中学生たちは避難場所が危ないと直感し小学生や園児の手を引いて高台に逃げた中学生もいたそうだ。
『防災の柱は自分で考えて、判断し行動すること』
訓練を繰り返すことで直感を磨いていれば《想定外》の災害にも的確な判断が出来るということだろう。
立派な中学生の話の後で・・・
恥ずかしい私ごと。
先日海岸地域を歩いていた時、
娘が「今、地震が来たらどうする?」というので
「倒れそうな建物もないからじっとして収まるのを待つかな」と答えた。
「それから?」
「それからって?」
「だめだめ、津波が来るんだよ」
「アッ!」
震災後連日のようにTVや新聞で衝撃的な画面を見、未だに悲惨な災害のニュースが続いているのを見ているのに、何ということだろう!
私は自分の津波認識ゼロに愕然とした。
秋 ― 2011/09/04 15:41
季節は巡る。
秋明菊の画像をアップしたのはつい先だってのように思えるのに、季節は一巡して、コスモスが咲き、萩の花も咲き始めた。
振り返ると、その間自分は気持ちのゆとりもなくジェットコースターで「わあぁ~、わあぁ~」と過ごしてしまった感じだ。
3・11から 茫然とした時間も長かったし、あの日を境に考え方も変えられた。
半年が過ぎて、日々に追いかけられるように以前のように暮らしてはいるが、被災された方に、ただ祈ることしか出来ない己の不甲斐なさと申し訳なさを感じている。
今日は台風12号の影響でめっきり涼しいが、9月も上旬、今年の残暑は去年のように厳しいのだろうか。
夏の疲れも出る頃、健康に気を付けて、前を向いて歩いていこう。
秋の花を探しに行こうと思う。
漢字オンチの話 ― 2011/09/06 19:52
夫は私より何歳か昔人なので漢字をよく知っていた。
「○○って どう書くんだっけ?」とか「これ何て読むの?」と聞くと
「こんな字もわからないのか」と嬉しそうに教えてくれた。
そして言った。「本を随分と読んだというけどどうやって読んでいたの」
(漢字が知らなくたって本ぐらい読めるワイ!)私は腹の中で悪垂れた。
一週間ほど前の地元紙に仙台在住の歌人扇畑利枝氏が96歳で死去された記事が載っていた。
夫君ともどもアララギ派の歌人で 宮城県出身の女性歌人「原阿佐緒」の研究者として知られている。
30数年前のこと、
短歌を少しでもやったことがある仙台の人なら扇畑先生のもとで勉強できるのは好機と喜ぶのだが 全く素人の私は有名な先生とも知らず偶然扇畑先生の教室で短歌を教わることになった^^;;
先生はいつも和服姿で黒々とした髪をきちんと整え、凛として授業に当たられた。
毎回、 昔からの著名歌人の短歌を30首ほどガリ版刷りして
それを席順に生徒に朗読させ、先生が解釈する指導方法だった。
短歌には木や花や鳥や虫の名前が頻繁に出てくる。
私にはそれらの漢字で書かれた固有名詞が読めなかった^^;;
テキストにはルビがなかった。
自分に当たる歌に読めない漢字が出ないように祈りながら順番を数えるのだが、それは宝くじを願うようなもの。
しかたなく隣の人に聞くと、教えてくれた。
お隣の人は嫌な顔をせず教えてくれるのだが、出来の悪い子が毎回不意打ちのテストを受けるようなもので すこぶる居心地が悪い。
毎回人に聞くのも恥ずかしく、短歌も作れそうもなかったので教室を辞めてしまった。
身近に短歌をしている人が数人いる。
今頃になって、もし、短歌を続けていたらもっと膨らみのある暮らしになっていたかもしれないと思う。
(漢字を知らなくたって短歌ぐらい詠めるワイ!)って開き直っておれたら・・・
漢字を知らない上に見栄を張ってもったいないチャンスを逸したおバカである。
「○○って どう書くんだっけ?」とか「これ何て読むの?」と聞くと
「こんな字もわからないのか」と嬉しそうに教えてくれた。
そして言った。「本を随分と読んだというけどどうやって読んでいたの」
(漢字が知らなくたって本ぐらい読めるワイ!)私は腹の中で悪垂れた。
一週間ほど前の地元紙に仙台在住の歌人扇畑利枝氏が96歳で死去された記事が載っていた。
夫君ともどもアララギ派の歌人で 宮城県出身の女性歌人「原阿佐緒」の研究者として知られている。
30数年前のこと、
短歌を少しでもやったことがある仙台の人なら扇畑先生のもとで勉強できるのは好機と喜ぶのだが 全く素人の私は有名な先生とも知らず偶然扇畑先生の教室で短歌を教わることになった^^;;
先生はいつも和服姿で黒々とした髪をきちんと整え、凛として授業に当たられた。
毎回、 昔からの著名歌人の短歌を30首ほどガリ版刷りして
それを席順に生徒に朗読させ、先生が解釈する指導方法だった。
短歌には木や花や鳥や虫の名前が頻繁に出てくる。
私にはそれらの漢字で書かれた固有名詞が読めなかった^^;;
テキストにはルビがなかった。
自分に当たる歌に読めない漢字が出ないように祈りながら順番を数えるのだが、それは宝くじを願うようなもの。
しかたなく隣の人に聞くと、教えてくれた。
お隣の人は嫌な顔をせず教えてくれるのだが、出来の悪い子が毎回不意打ちのテストを受けるようなもので すこぶる居心地が悪い。
毎回人に聞くのも恥ずかしく、短歌も作れそうもなかったので教室を辞めてしまった。
身近に短歌をしている人が数人いる。
今頃になって、もし、短歌を続けていたらもっと膨らみのある暮らしになっていたかもしれないと思う。
(漢字を知らなくたって短歌ぐらい詠めるワイ!)って開き直っておれたら・・・
漢字を知らない上に見栄を張ってもったいないチャンスを逸したおバカである。
秋田へ ― 2011/09/08 10:16
昨日は施設にいる姉に会いに行った。
奥羽の山を越えて 高速バス3時間余りで秋田市に着く。
自宅6時半出発、帰宅8時半の日帰り。
姉妹が多くあちこちに予告すると予定がまとまらないのでこの頃は誰にも告げず単独行動に方針変更。
面会は青森旅行の帰り立ち寄って以来だ。
毎日施設通いをしている義兄が来ているだろうとは予想していたが部屋には実兄もいた。
あら~!@@
兄は車で二時間以上かかるのに、10日に一度は訪ねているから、偶然会っても不思議ではないのだが。
姉は上機嫌で軽い冗談にも反応出来てよく笑った。
「もう帰るの?」とも「また来てね」とも言えない姉と別れて
義兄と三人でランチを摂りながらのおしゃべり。
義兄を送り届ける車に同乗。
高齢の兄の帰路の運転が心配で早く帰ってもらいたかったのに兄は私のバスの時間まで付き合うという。
こうなるとどちらも引かない性格はお互い分かっているので^^;
近くの秋田港に連れて行って貰うことにした。
港には100メートルのしゃれた展望塔があって、360度の視界、男鹿の山々、東に目を移すと小学生の頃遠足で登った、故郷の山なども望め 懐かしさ満載の眺望だった。
風が強かったが、ガラス張りの展望台から、白波を寄せる日本海が見え、日が差すと遠くの海面は細やかに光っていた。
帰宅して一番に兄に電話をした。 無事帰宅していた^^。
9時過ぎて、義兄から、姉のご機嫌の良かったことを喜んでいる電話が入った。
奥羽の山を越えて 高速バス3時間余りで秋田市に着く。
自宅6時半出発、帰宅8時半の日帰り。
姉妹が多くあちこちに予告すると予定がまとまらないのでこの頃は誰にも告げず単独行動に方針変更。
面会は青森旅行の帰り立ち寄って以来だ。
毎日施設通いをしている義兄が来ているだろうとは予想していたが部屋には実兄もいた。
あら~!@@
兄は車で二時間以上かかるのに、10日に一度は訪ねているから、偶然会っても不思議ではないのだが。
姉は上機嫌で軽い冗談にも反応出来てよく笑った。
「もう帰るの?」とも「また来てね」とも言えない姉と別れて
義兄と三人でランチを摂りながらのおしゃべり。
義兄を送り届ける車に同乗。
高齢の兄の帰路の運転が心配で早く帰ってもらいたかったのに兄は私のバスの時間まで付き合うという。
こうなるとどちらも引かない性格はお互い分かっているので^^;
近くの秋田港に連れて行って貰うことにした。
港には100メートルのしゃれた展望塔があって、360度の視界、男鹿の山々、東に目を移すと小学生の頃遠足で登った、故郷の山なども望め 懐かしさ満載の眺望だった。
風が強かったが、ガラス張りの展望台から、白波を寄せる日本海が見え、日が差すと遠くの海面は細やかに光っていた。
帰宅して一番に兄に電話をした。 無事帰宅していた^^。
9時過ぎて、義兄から、姉のご機嫌の良かったことを喜んでいる電話が入った。
予定は完了、 日が暮れて・・・ ― 2011/09/12 20:06
今夜は中秋の名月。
午前ボラ、午後墓参り。気温は30度を超えて日中はじりじりと日差しが厳しかった。
墓苑は高台にあり、バスを降りてから20分ほど上る。
通いなれている坂道だから苦にならないのだが、今日はボラの荷物を持っているからちょっと違う。
坂の半分ほどの所に花屋があって毎回そこで花を買う。
思いきって言ってみた。
「荷物を預かってもらえないでしょうか」
「お墓参りですか。どうぞどうぞ」
快い返事に、感謝。感謝。
実際、炎天下 ずしりと重い鞄の上に花を持ってでは墓までたどり着けたかわからない^^;;
無事お参りを済ませ、バス停まで下りて来たら、丁度バスが見えた。
バスを待っていた年配の女性が、
「なんて、運のいい人なんでしょう!」と言った。
その一言でなんだか幸せ気分になるから不思議^^。
日々、人に支えられて暮らしているのだけれど・・・・、
改めて人の親切に気付かされた、一日だった。
綺麗なお月さまだな~♪
網戸を通して涼しい風が入っている。
旧「敬老の日」 ― 2011/09/15 20:00
10年前は9月15日、今日が「敬老の日」であった。
連休のための旗日はなかなかなじめない。
(そもそも「旗日」なんて言葉もいまや死語?)
新聞によれば今年100歳以上を迎える人が47,756人だそうだ。
(男:6,162人 女:41,594人)
女性の寿命の長いことは知っていてもこの数字の差にはビックリである。
男女とも寿命は延びて、TVでも信じがたいような元気な100歳が登場する。
この週末は敬老会の行われるところも多いだろう。
来年は 75歳になる私にも招待状が来る予定だ。
敬老会を敬遠する人は多い。
夫は欠席派。該当の兄弟も欠席派ばかり。
自分はどうするのだろうか。
おめでたいことだから素直に行ってみたいと今は思う^^。
だって、敬老会に招待してもらえるほど 生きているなんて思わなかったもの。
出席するもしないも その時 会場まで元気に歩いて行けるってことが必須条件なんだけどネ・・・^^;;
朝焼け ― 2011/09/17 10:08
5時前 窓を開けたら東の空が見事な朝焼け。
折角だから公園で撮ろう!
よぼよぼ歩いている間にすっかり空の色も雲のかたちも変わってしまった^^;;
♪山の向こうは朝焼けだ
向こうは何か知らないが
明るい希望が住むようで、
日本の希望が住むようで
向こうを指さす僕らです♪
遠い昔、どこかで覚えた歌が口を出た。(うろ覚え^^; )
三連休、楽しさを探して過ごそう。
折角だから公園で撮ろう!
よぼよぼ歩いている間にすっかり空の色も雲のかたちも変わってしまった^^;;
♪山の向こうは朝焼けだ
向こうは何か知らないが
明るい希望が住むようで、
日本の希望が住むようで
向こうを指さす僕らです♪
遠い昔、どこかで覚えた歌が口を出た。(うろ覚え^^; )
三連休、楽しさを探して過ごそう。
遊ぶ子供 ― 2011/09/18 16:35
公園で子供たちが遊んでいた。
元気な声が楽しそうだ。
立ち止まって遊びを見ていた。
遊具を使っての鬼ごっこらしい。
鬼の男の子が「赤」と叫ぶと多の子供たちは赤く塗られた箇所に急いで移って手を触れた。「青」「みどり」と次々と色を叫んでいたが移動中に捕まえるのは難しそうだった。
カラフルな遊具があっての遊び方だなあ。
私がこの年の頃はもう60年以上も前になる。
村では各集落の神社が子供の遊び場になっていた。
ブランコや滑り台など備え付けの遊具はなかったが、木に登ったり、縄でブランコを作ったり、川に入って綺麗な石を拾ったり、
「書ける石」を見つけて参道の敷石をキャンバスに絵を書いたり 日が暮れるまで遊んだ。
神社には大きな石をくりぬいた手洗い場があった。
その周りで石のくぼみを見つけて硯のように柔らかな石を磨る。
磨りやすい場所をいかに確保するかが大事だった。
水が乳白色に変わるだけなのだが皆で一心不乱に磨った。
こんな わけのわからない遊びもあった^^。
あのころの遊びは自然と結びついていた。
自然は空気も水も土も綺麗だった。
同じ所で遊んでいても男の子と女の子が一緒に遊ぶことはなかった。
もう半世紀も経っているからなぁ
時とともにいろいろなものが変わった。
整備された公園で男の子も女の子も楽しそうだ。
原発の災渦にある福島では猛暑の中マスクをしたり、長袖で登校している小学生がいる。
みんなが公園で遊べるのはいつになるのだろうか。
元気な声が楽しそうだ。
立ち止まって遊びを見ていた。
遊具を使っての鬼ごっこらしい。
鬼の男の子が「赤」と叫ぶと多の子供たちは赤く塗られた箇所に急いで移って手を触れた。「青」「みどり」と次々と色を叫んでいたが移動中に捕まえるのは難しそうだった。
カラフルな遊具があっての遊び方だなあ。
私がこの年の頃はもう60年以上も前になる。
村では各集落の神社が子供の遊び場になっていた。
ブランコや滑り台など備え付けの遊具はなかったが、木に登ったり、縄でブランコを作ったり、川に入って綺麗な石を拾ったり、
「書ける石」を見つけて参道の敷石をキャンバスに絵を書いたり 日が暮れるまで遊んだ。
神社には大きな石をくりぬいた手洗い場があった。
その周りで石のくぼみを見つけて硯のように柔らかな石を磨る。
磨りやすい場所をいかに確保するかが大事だった。
水が乳白色に変わるだけなのだが皆で一心不乱に磨った。
こんな わけのわからない遊びもあった^^。
あのころの遊びは自然と結びついていた。
自然は空気も水も土も綺麗だった。
同じ所で遊んでいても男の子と女の子が一緒に遊ぶことはなかった。
もう半世紀も経っているからなぁ
時とともにいろいろなものが変わった。
整備された公園で男の子も女の子も楽しそうだ。
原発の災渦にある福島では猛暑の中マスクをしたり、長袖で登校している小学生がいる。
みんなが公園で遊べるのはいつになるのだろうか。
秋分の日 ― 2011/09/23 16:54
台風通過の予報が出ていた昨夜 この地方では風は強くなかった。
強い雨の音が止まなかった。
今日は 朝から台風一過の青空が気持ち良かった。ほっとした。
何かと用事が重なり、雨が降ったりでお彼岸の墓参りが出来ずにいた。
今日はお墓参りをしよう。
そう思って洗濯も早く済ませた。
朝7時に家を出て帰ったのがお昼近く。
バスや地下鉄の乗り継ぎが順調でも半日仕事になる。
帰宅、新聞をひろげると・・・
3・11震災で津波の被害を受けた塩釜市の上空写真が載っている。
一面が黄土色の浸水。
各地で甚大な被害を出した15号台風が東北を襲った。
降り始めからの雨量が500ミリを超えた処もあるという。
土砂や倒木で道路が寸断集落が孤立。
仮設住宅から避難した人。
震災から歯を食いしばって前に進もうとしている人たちに・・・・・・
自然のなせることとはいえ、被害にあった人たちのことを思うと言葉もない。
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