おまけの旅2011/07/01 13:10


 6/27~29までの旅を無事終えて帰宅した。

 きのう朝、五時いつもと同じに元気に目覚めた。
快晴、「モッタイナイ病」がムクムク^^;

 チケットが一日残っている。

 そこで6月26日世界遺産に登録されたばかりの平泉に行くことにした。

《毛越寺  大泉が池》


 新幹線で一ノ関駅まで一時間半ほど、自由席のある列車を選んで
ホームで待っていたら前にご夫妻がいた。

 私よりは先輩かな。お二人とも杖を持っている。
休日切符を利用して新青森まで行かれるという。偉いな~。

 列車が入って私はドア近くの窓際の席に掛けた。
 列車が動き出したら、奥さんが来て三列の席が一つ空いているからご一緒しませんかと誘われた。折角なので席を移動^^。
仙台の方らしい。

 ご主人が生死を分かつ大病をされたこと、現在も難病を抱えていること、
ご主人は病気をされてから心の持ち方や暮らし方が変わったと話された。女房に感謝が出来るようになった、100円持っていたら1000円を望まず、100円の楽しみを見つけるようにする。などなど、なるほどと思うことを聞かせてもらった。

 3年前長男を亡くされたという奥さんは控えめでご主人にしっかり寄り添い、
偉いな~自分にはとても真似が出来ないなあと思った。



中尊寺金色堂の向かいにある白山神社の能楽堂

亀井勝一郎が「もし能楽師だったらこの舞台で舞ってみたい」と書いてあるそうだ。
この舞台の動画があった。

http://www.youtube.com/watch?v=XXNIYaAA-io&NR=1



 写真の整理が出来ず、「おまけの旅」の報告が一番になってしまった。

 「おためし旅行」のコース。
新青森⇒五所川原(泊)⇒金木⇒五所川原⇒(五能線)⇒秋田(泊)⇒仙台

 旅を通して感じるのは美しい景色や珍しい事柄に逢うこともさることながら、私は知らない人の温かさに出会うのが好きなのだと思う。

今度の旅行でわかったこと。

◎私は今なお晴れ女である^^。

シャコちゃんと遭遇2011/07/02 22:20







一日目(6/27)

欲張らずのんびりとした旅の予定だった。

高校時代「斜陽館に行きたいね」と太宰かぶれの友達と話していた。

それから60年も経っているのに未だ行ったことがなかった。

旅の初めに斜陽館を訪ねてみようとだけ決めた。

 

斜陽館のある金木は五能線の五所川原駅からさらに「津軽鉄道」に乗り換える。

幹線沿いでないから行きづらい。

 

行きたいねと話した友達も亡くなってもう20年近くなる。

 

新青森から奥羽本線で南下し川部という駅で五所川原に行くために五能線に乗り換えた。

車中、五所川原駅の先の「木造駅」にも停車することを知り、急きょ予定変更。

木造で下車。


「シャコちゃん」と面会。

シャコちゃんとは地元から発掘された縄文時代の土器で遮光器土偶のことである。

 

今から20数年前、政府の「ふるさと創生事業」により全国の各市町村に一億円が配られた。

各々自治体では一億円の使い道に知恵を絞った。

一億円の金塊を買ったところもあった。ある村では日本一の長い滑り台を作り、別の町では大きな狛犬を造り、村営のキャバレーを造った所もあるという(ネットより)

 

木造では駅舎を併設したホールにド~ンとシャコちゃんを^^

この駅の一日の利用客は300人足らず。

親切な駅員さんが「目を光らせましょうか」と言ってピカピカしてくれた^^

日中だからピンとこなかった。(夜間に光らせていたが子供が怖がるので止めたそうだ)

旅行第一日目、予定外の収穫であった^^
それにしても かくも思い切ったものをよく作ったものだね~~




ヤジウマ全開2011/07/03 14:00

 前日 夕方ホテルに入る時は雨だった。雨はだんだん強くなっていた。

 朝、部屋のカーテンを開けて・・・あれぇ~!晴れてるよ!

 8時ころ五所川原津軽鉄道の駅でチケットを求めようとしたらイベント列車の整理券は?と聞かれた。

 大震災の風評で大きな打撃を受けた東北のローカル線を支援する催しがあり その日は津軽鉄道に杉良太郎、伍代夏子、大石まどか、城之内早苗が一日駅長として乗るのだそうだ。

 五所川原を離れるのは夕方だから とりあえず整理券をもらった。
特別列車の出発は午後2時。その間にイベントのために発行されたフリー切符で斜陽館を見ることにした


 一つ先の芦野公園を散策してから金木に戻ることにした。

 芦野公園は「大人の休日倶楽部」表紙に 吉永小百合が桜をバックに映っている駅で素敵なところだ。

 芦野公園に降りたのは私が一人。駅は無人。公園に人影が見えたのでそちらに歩いて行ったら、「随分と早いですね」と年配の男性に声を掛けられた。

 太宰の碑の場所を聞いたら一緒に行きましょうとの言葉。
パークゴルフ(?)の順番まで時間があるのだという。

 80歳を超えた方だったが町の要職にあった人のようで歴史にも詳しかった。
別れるとき「ありがとう」の写真を密かに撮ろうと^^; したら後ろを振り返った。

斜陽館なら電車を待つよりも20分ほどだから歩い方が良いですよ。

 言われた通り歩いて三差路に来たので念のため散歩をしていた男性に確かめた。

 また歩き始めたら後ろから来た車がスーと止まり、窓からその人が「車で送ります」という。 かたじけなや。あっという間に斜陽館の前^^。

 津軽には親切な人が多いな~~

 一旦、五所川原に戻りご飯を食べることにした。

 運ばれた皿のキャベツに思わず「オオ!」と声が。

 ハンバーグもおいしかったがキャベツの山はついに征服できなかった。

 お腹を満たした後「立佞武多の館」で一時半まで時間を費やした。
立佞武多の館は地上6階をぶち抜いて高さ22メートルのねぷたを常時展示している。

津軽の人は どでかいことが好きだな~~
 
ようやく時間が来てイベント列車の出発進行。

 日頃特別にタレントに興味がある訳ではないが・・・
なんと、なんと通路を挟んだ隣の席に杉良太郎夫妻が掛けた。

 ヤジウマ魂全開。「隣に並んで」と一緒にいた席の女性たちに自分では出来もしないことを勧めて、パシャリ。教えてもらった宛名に送る約束をする。

 お礼に津軽鉄道で有名な「ミサオばあさん」の笹餅をご馳走になった。 

出番を待つ今年のねぷた




津軽鉄道2011/07/04 11:03

 津軽鉄道は五所川原から中里まで奥津軽を走る20キロ余り(所要時間40分) 民間会社のローカル線だ。

 私の旅の目的地は金木街にある「斜陽館」だった。

 出発前、五所川原では「五~ぐる号」というバスが「斜陽館」「吉幾三ミュージアム」など5か所の観光施設を回ることを知った。

 鉄道にしようか、バスにしようかと迷っていた。
結局鉄道に決めたのだが、もしバスを選んだら旅の内容はまた違ったものになったのだろうし、違う楽しみを味わえたかもしれない。
 人生に似ているね^^。

 私は自分の決めたやり方で十分楽しめた。
津軽鉄道は熱かった。

列車には「トレインアテンダント」という女性の乗務員が乗っているのだがこの女性たちの頑張りが温かい。
津軽を、会社を、鉄道を、そして乗客を愛しているんだ~と伝わるサービスだった。

のどかな緑のじゅうたんのような田園風景を眺めながら行くローカルの旅、
アテンダントさんは時には空いている席に座ってお話し相手もしてくれる。
穏やかな津軽なまりの混じった話しぶりで和ませてもらえる。

大震災で東北の観光地は人出が減り、殊にローカル線の打撃は大きい。

ケッパレ 津軽鉄道!

五能線2011/07/04 20:24

 五能線のリゾート列車「しらかみ」には初めて乗った。
16:50分発。五所川原から秋田まで約三時間。

 寝台車のような仕様でボックスの中のテーブルを挟んで四人が座る。
私の席は窓際で向かいに年配の男性、通路側にご夫婦が座られた。
 いつも休日切符で一緒に旅行されているというお二人はお話好きで明るかった。

 私と向かいの男性は はあ、はあともっぱら聞き役^^。

 日本海の海岸沿いを走るので人気の列車だが 天気もよく
青空の下きらめく海原が時間とともに変わって行く様を見ることが出来た。

 途中、ご夫婦は下車されて、老年の男女が残った^^。
浦安からの方で外国に行かれたり、冬はひと月ほど沖縄で過ごされるという旅行慣れされた方だった。

 落日を期待したがその頃水平線は霞がかかってしまい見ずまい。残念。

 20:38定刻秋田着。
泊まる宿が近かったので連れだって下りた。
 その方はシティホテルに 私は向かいのビジネスホテルに^^。

 犬も歩けば棒に当たる。
 ばあは歩かねば何も起きない。
 
人と、自然と、たくさんの思い出を増やした旅であった。
出会えた人に感謝。
健康に、感謝。

オレンジスタジオ


 http://orangestudio.homeip.net/gallery/org/userid33401_page1

昔も今も2011/07/09 20:42


 「宿題をやってから遊んだらいいのに」子供の頃母に言われた。
遊びに夢中になって宿題をやる時間がない。
 
 70歳を過ぎても変わっていない^^;
たった四日間の旅だったのに、帰ってきたらあれこれ気になる用事が溜まっていた。

 一人暮らしのせいもあり、出かける前に片づけておいたはずなのに。
周りの雑草がボウボウ。

 読まずにたまった朝刊、夕刊、四日分、これがなかなか消化できない。
新聞は一日分読み終えても又新しく配達される^^;;

 旅行の後、外からの用事も増えた。続けてプールを三回休んだ。
年寄りの用事だからやらなくても、大して悪いことにはならないのだが。

そんな日常の宿題ならまあ、いいか~!で済むのだが、
子供みたいに遊び暮らして、人生の宿題も先延ばしにしているのではないか。

 立ち止まってちょっぴり反省などしている^^:;

暑い日2011/07/14 20:27

《ケータイで》

 今日は33度。
暑い中を墓参りに行った。

 ん?ひと月ぶりなのに花が新しい。
そうか、娘たちが私には言わなかったがお墓参りをしてくれたのか。
言ってくれればこんな暑い中来なくてもよかったのにと薄情な女房は思う^^;;

 墓苑の沼に白い睡蓮がたくさん咲いていた。
赤詰め草やヒメジオンやタンポポの綿毛が優しげだった。

 「ちょっと待って」
カメラを持って出かけた時、気まぐれな私は面白いものを見つけると夫の存在を忘れたように道を外れた。
夫は黙って待って私を急かすことはなかった。

 夫の辞書には「ありがとう」はあったが「ごめんなさい」はなかったようで一度も謝られたことがない。
 素直じゃないんだから・・・腹の中で呟いていた・・・

 思えば夫がしてくれる良いことは当り前で、こちらの意に沿わぬことには文句を言っていたことになるな~^^;;;;;


 夜になってもブログネタを思い出せないからお墓参りのことなど^^;;

 メモ帳に「あし」と書いてある。
「あし」のことを書こうとメモしたらしいが???
「あし」ってまさか「おあし」ではないよね^^。全く思い出せない。

《想定外》でした2011/07/16 20:32

《立ち止っているのではありません。みんな歩いていてこの状態。》

 パレード見物をあきらめて駅へのバスから撮った定禅寺通りの人出。
「六魂祭」に集まった人が仙台の街にあふれた。

 私もおいでくださったネットのご夫妻を案内しようとしたが「六魂祭」のパレードはあまりに人が多くて身動きできず、見物を断念していただいた。

 後で聞けば「青森ねぶた」と「秋田竿灯」の運行を中止したそうだ。
残念な気がする。

 わざわざ応援のために遠いところからたくさん集まってくれた人々の中に楽しみのパレードを見ることが出来なかった人が大勢いた申し訳ないことだ。 計画、運営の仕方に間違いがあったのではと思う。
 想定外の人出で 狂いが生じたとは思うが。

私的にはとても、とても、残念な「六《恨》祭」だった。

情報を発するということ2011/07/21 07:15


 6月17日の記事で「六魂祭」を書いた。

 http://e-batyann.asablo.jp/blog/2011/06/17/

 東北の祭りが一辺に見られるいい機会だと思った。
「仙台にございん」

 人が集まれば元気も出るだろう。そんな気持ちもあった。
九州のSさんが仙台行きを検討し、スケジュールの都合で断念されたことをコメントで知った。

 Mさんからは奥様と東北の他の地を回りながら来仙と連絡があった。

 祭りまでの間、情報を得ようとキョロキョロしていたが、さっぱり具体的な情報が出てこない。

 前日、駅の案内所に出向いたら、祭りに関するチラシの類がなかった。
嫌な予感がした。
 どんな予測で見物客を迎えようとしているのだろうか。
「区役所にはあるのでしょうか」「あると思いますが、サイト以上の詳しいものはありませんよ」

 16日初日炎天、 Mさんご夫婦は人ごみの中を私に連れまわされただけになった。
 申し訳なかった。

 遠い所から応援に来てくださった人、元気になろうと沿岸部から来た被災者、
 残念な祭りの初日だった。
 せめてけが人の出なかったことを幸いとすべきか。

 そして情報を発信するということについておもう。
「おもしろそう」と軽い気持ちで発した自分の記事が 読んだ人に迷惑を及ぼすこともあるのだと。
 自分の体験、実証のない記事は書かないようにしようと思った。


@祭初日の予測5万人に対し13万人が集まった。

ばあの通信簿2011/07/22 16:21

 半年に一回内科の通信簿を貰う。



 健康優良婆のレベルではないが、まあまあの及第点^^。
血色素の値が0.1正常値に届かない。

 毎度のことで医師も「これ位は良いでしょう」という。
肝・膵のエコーも胸のX写真も異常なしだった。

 もっともこの通信簿には認知度の科目がない。
この病院には「ものわすれ科」もあるというのに。

 物忘れがメチャ酷くなっているので一番に調べないといけないのだが烙印を押されそうで怖くて逃げている^^;

 先日里の姉から震災見舞いが届いた。

 「なんも、被害がないのに。ちょっとおかしいんじゃない?」と言ったら
 「うん、うん、頭が変だ」と言って話したこと。

 近所のバッチャがテープを借りに来て、おしゃべりを始めた。
ひとしきり笑いあって「ひばな~」と帰って行った。
ありゃ、テープを渡してない!
と、バッチャの方も笑いながら戻ってきた。

姉は「頭がおかしくなってる」という。

 いやいや、姉さん、その位 可愛いものよ。
二人とも80代だもの、順調な年の取り方よ^^。
私なぞ まだ70代というのに聞くも涙、語るも涙・・・トホホ



 荷物の中に姉がチクチク縫った袋。母の帯からだって。エ、エッ@!そんな古い布!