あなたはどっち?2011/03/01 21:04

 ただ今、頭の右にいる「言いたいAチャン」と
 左の「言わないAチャン」が
戦っております。
 ア、「言わないAチャン」があぶない!負けそうです。
 ついに「言いたいAチャン」の勝ちです。

Aさんはこんな実況を時々するのだそうだ。

(アハハ・・・eばあ)


「あなた、洗面所の蛇口がまた締まってなかったよ」と注意されて
「ああ、そうかごめんよ」と言う殿方は少ないようだ。

Aさんのご主人は完全黙秘。

Aさんとて苦言は嫌だが水の出っぱなしも気になる。
気になることをおなかにしまっておくとストレスが溜まるので上のような戯言で発散する。

世間には暮らしの中で直してもらいたいことを相手に率直に伝える妻と言わないという人と二通りあると思う。

 

若いころはともかく、40ウン年も付き合ってくればどっちの方法が良いとかではなくて 言うも 言わないもそれがその夫婦にとって最良だからそうなっているのだと思う。

わたし?
 私はうるさく言わない方だったけど、、、、

理由は いうことで事態がさらに悪くなることを数多く学習したからです^^

加えて言うと、心は狭い方だから言葉に出さなくてもトゲトゲ光線は出していたかもね~
こっちの方がシマツガワルイ??? ^^;;;;;;;




おまじない2011/03/06 21:59

 小さいころ、おなかが痛いというと母はお腹を撫でてくれながら
「オンコロコロセンダリマトウギソワカ」と何回も繰り返した。
これはよく効いていたように思う。

 このチチンプイプイのおまじないのような言葉は薬師如来のご真言だが今でも私は使うことがある。

 はばかりながら、トイレで^^;;
便意でトイレに入ったのに出ないことがある。
 そんな時、下腹部を時計回りにさすりながら「オンコロコロ・・・」を唱えるとご利益はテキメン^^。

 幼少の良い思い出と唱えることでリラックスできるせいかなと思うが。

 なんでこんなクダラナイ話を始めたかと言えば
目下ブログネタにツマッテいるから^^;;

 それにしてもこの年まで大病もせず、おまじないみたいなもので快調に過ごせるのはラッキーだなーと思う。

 
 ついでに^^;
「チチンプイプイ」の意味

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1315707843

人生劇場2011/03/07 19:26


 生きることは舞台でどのようなパフォーマンスで自分を表現するかに似ていると聞いたことがある。

 地下鉄で、70代も後半と思われる夫婦が乗り込んだ。
向かいの席が一つ空いていた。

 奥さんの方がその席に突進して自分が掛けるのかと思ったらご主人の方を振り返って、掛けるように促した。
 (思いやりだな)

 ご主人は手を振って断った。
 (これも思いやりだな)

 それを見ていたひとつ飛んだ座席の若い女性が立ちあがってご主人に席を譲ろうとした。
 ご主人は何度も遠慮し、私は若い女性が困ったようにしているのを気の毒に思って見ていたらご主人は「それでは」と座ったのでホッとした。

 惜しむらくはそのタイミングで奥さんが「ありがとう」のセリフを忘れてしまったらしいこと。
 奥さんも一緒に感謝の気持ちを表したらメデタシ、メデタシのいい舞台だったのにな~
 
 大根役者のくせにいっぱしの評論をぶってみたりして^^;;

地震続き2011/03/10 20:58

《三月の雪》

 昨日、今日と地震が続いた。
 宮城では近い将来高い確率でM7・4クラスの地震が発生すると警告されている。

 昨日、今日の地震はこの予測されている地震とは別のものだそうだ。

 私は1978年の宮城県沖地震を体験しているが発生時の地鳴りというのか異様な音とともに家も樹も電線も揺れていた中で子供たちを抱えて何も出来ずにいたのを思い出す。
 パニックで行動が止まっていた。

 その後なんどか地震を経験して、よくないことだが少しの揺れには
驚かなくなってしまった。

 昨日の地震は震度4と強いものだったが棚のものが落ちることもなく終わった。

 安否を気遣うメールが入った。
返信しようとしたら買い換えたばかりのケータイで何度も間違えたり
そのうち電話が入ったりして、返信がすっかり遅れ心配を掛けた^^;;

 まあ、地震よりもケータイでうろたえたなどと呑気なことを言ってるうちはいいのだけれど・・・

 《市消防局防災安全課の公表による2010年1月現在の発生確率》

 10年以内発生の確率:70%程度
 20年以内発生の確率:90%程度
 30年以内発生の確率:99%

無事です。2011/03/25 21:28

長いこと無事をお知らせ出来ずご心配をおかけしましたことお詫び申し上げます。
また、温かいお見舞いの言葉本当にありがとうございます。
私は元気です。

あの日は、翌日の法事の準備に偶々娘が来ており、私は娘の車で買い物に出ようと玄関にいるときの地震でした。

体験したことのない大きさと長い揺れでした。
お向かいの屋根のかわらがバラバラ落ちてきました。立って居れず娘と道路にしゃがみ込みました。

 電気、水道、ガスが止まり、真っ暗の中次々に起きる強い余震に怯えながら二晩過ごしました。

 私を残しては帰れないというので後片付けもせず、すぐ戻るつもりで一緒に福島に行ったのです。
 電気がなく情報が遮断されていたので福島で初めて地震、津波のTVニュースを見て衝撃を受けました。

 我が家は本箱が倒れ、棚から落ちた食器が割れたくらいで済みました。

 新幹線の復旧はまだですが、高速が繋がりバスで今日仙台に帰り、気がかりだった地震の片づけをしました。

 明日には又福島に行く予定です。
 福島は今原発のトラブルで恐怖にさらされています。

  娘は避難指示の出ている所ではありませんが、目に見えない敵を避けるのは難しくそれだけに怖いものです。

 「外出は控えて出るときは車で」と言われても仕事は放棄できず、何処にもガソリンはありません。

 素人ながらこの問題が短い期間で終わるとは考えられません。

 なぜそんな気難しいものに手を出してしまったのか、そこから生まれる豊かさを自分たちが安易に享受してしまったのは間違っていたのではないか、、、、

 高齢者の自分はともかくこれからの若者、赤ちゃんたちが苦しまないことを祈ってひたすら終息を待っています。

 今日、石巻がご実家と言う人の訪問を受けました。
避難して全員無事だったが家が津波に襲われ、屋根に流された車が乗り、家の中を片付けると何処の誰かわからない人の遺体が出てきたと話していました。

 度重なる余震で体が揺れているようで、時間はあるのに落ち着かず何も手に着きません。

 でも、私はこうして元気だし帰る家もあります^^。

 懐かしい声も聞けました。
 皆さんコメントをありがとうございました。

福島にて(震災20日目)2011/03/31 16:54

《ケータイで》

 お天気が良くても窓も開けず、エヤコンも換気扇も使えない家の中で、一向に好転しない原発事故のテレビを見ているのは気が滅入るから、毎日買い出しに出る。

 今日は少し回り道をして阿武隈川の堤防を歩いた。

 河川敷の柳がうっすらと萌黄色に色づき、川はゆったりと流れている。
目の高さに張り出した桜の枝の蕾も膨らんでいる。
鶯の澄んだ声がして空を見上げる、
 青空には雲が浮かび屋並みの向こうには吾妻連峰が残雪の峰々を輝かせている。
 なんと、のどかで平和な風景なのだろう、

 だけど、河川敷に整備されている9面もあるテニスコートには誰もいないし、私の歩いている堤防もサイクリングロードになっているのに行き交う人はまれだ。

 瓦屋根はどこかが傷んでいるし、まぶしいほど日がさしている陽気なのに洗濯物を干している家がない。
 放射線を用心して布団も洗濯物も外に干せないのだろう。

 野菜をはじめ福島県産についての風評被害も酷い。

 震災から20日、ようやく買い物は楽になった。数量制限の品物はあるものの一時間もの行列はない。商品が回っているのを感じる。
 ガソリンはどうだろう。週末には仙台に帰る予定だがガソリンが入ってない。

 スタンドを訪ねてみた。
朝、7時半から整理券を250名に発行し、一人30ℓとのこと。当初は10リットル制限だったのがガソリンも出回り始めたらしい。
 車で帰れるかも^^。

 こんな風に私にはいつかは「日常に還れるアテ」がある・・・・
こんな呑気にしていていいのかと申し訳ない気もする。

 すべてを失った被災者のニュースに涙するだけでなく、年寄りの自分はせめて義援金など自分で出来る限りのことをしなければならない時だと思う。