たらっぽ2006/05/03 13:48

 夫のゴルフ仲間のOさんから たらっぽ(タラの芽)をいただいた。
 柔らかく、かすかに山の香りのする天ぷらが美味しい山菜である。
 タラの芽は散歩の道端にも見つけることが出来る。
春一番に、木のてっぺんに猫柳のように芽を出すので、「あと三日も経つと摘めるね」と楽しみにしていても、
私に見えるということはそこを通る誰の目にも留まるということだから、思惑通りは手に入らない。
 昨年は幸運にも三回も摘むことができた。
今年の「後三日」の夢は二日目で打ち砕かれた。
きっと摘みとった人も、明日まで待ちたいけど、誰かに先を越されそうとまだ小さくて固い芽を摘みとったのだろう。
 このタラの芽お店で8個ほど入ったパックが980円で出ていた。
争奪戦もむべなるかなである。

スイカ2006/05/04 19:06

 今年始めてのスイカを食べた。
食べ物の季節感が失われている昨今だが、商品には温度によって売り上げが動き出す目安があるようだ。
 20℃を越えると、アイスクリームが売れ出し、
 22℃でビール、
 25℃で冷やし中華の注文が増え、
 27℃ではスイカ、ところてんの売れ行きがよくなり、
 30度以上になるとそうめんやザルそばがよく売れるという。

 五月のこの時期に、スイカを食べるのは我が家としては異例の早さである。

 子供たちがいる頃は長男の誕生日が6月の末でその日が
我が家のスイカ初登場の日となんとなく決まっていた。
 子供は大抵スイカが大好きのようだが、我が家の子供たちも例外ではなかった。

 昔、日差しが強くなってきた5月頃、幼い娘を連れてスーパーに買い物に行ったら、初もののスイカが並んでいた。
それをじーと見ていた娘が大きな声で言ったっけ。
「オカアサン!家ではまだ、これは食べられないんだものね~~」
 何をおっしゃるウサギさん、慌てて、私は辺りを見回したのだが三歳の娘にも親の懐具合が分かっていたんだなァ~~^^。

 気温がスイカ適正値まで上がらなかったためか、今日のスイカは余り美味しくはなかったよ^^;

HPを立ち上げた頃2006/05/06 21:02

 最近続いた雑事ににまぎれてうっかりしてしまったが、
私がHPを立ち上げたのは2年前の3月である。
 「HPを作りたいけど私でも出来るかしら」そう聞いた私に
息子は
「作るのはやさしいけど、維持するのは難しいよ」と言った。

 難しいことを考えたり、言ったりすることは出来ないけれど
おしゃべりが好きだし、思ったことを書くことにも
抵抗を感じない方なので、日常のありのままを 
自分の楽しみのために綴っていけば続けられる思っていた。

 初めた頃は、あれもこれも話の種はいくらでもあるように
思えても 長くなると変化の乏しい老いの生活の中で更新を
続けることは、難しい。

 どうしたら話題が増えるか。
答えは簡単。家に閉じこもらず、自然に触れ、観察し、
人と接し、会話し、疑問を持ち、調べ、
人に聞く、ことなどなど、行動することに尽きる。
つまり、真面目に生きなさいということだ。

今朝の新聞を見て2006/05/07 14:17


 「読売新聞」:『ことばweekly』は世界の要人のその週の注目すべきコメントを載せる。
 ラブス・セルビア共和国副首相の辞任の言葉もその一つ。

 『隠れている場所を除いて、すべて捜した』

 国内に潜伏中と見られる旧ユーゴスラビアのムラビッチ被告を期限内に法廷に引き渡せなかったのを理由に辞任を迫られ,
捜査に及び腰の当局を皮肉っての発言である。

 世界の情勢に とんと疎いe-ばあが、筋違いのコメントを^^;;

 『やらなければならないことを除いて、すべてやった』
     ・・・・わたしの人生です(>_<)

家計簿2006/05/09 10:05


  「合わないのか」 PCの前で財布を覗いている私に、
夫が言う。
 数日、レシートの打ち込みを怠けていたら現金と
帳簿があわない。

 僅かな年金だけの二人暮らしに家計簿など大して
意味がないのに、以前受講した無料講座のexcelが
面白かったので表に式を入れ家計簿として使っている。
 必要もないのに年間表を円クラフにして「うん、ウツクシイ」
等と一人悦に入る、
 家計は、工夫の余地のない切迫財政だから、PC遊びの
延長みたいなものだ。
 現金も合わないことがよくある^^;;;

 夫が声を掛けたのは、財布が決まった場所に
置いてあり、生活に属する買い物はどちらもそこから持ち出す
ことになっているから、気分的にイヤなのだろう。

 そうよね。
 二人だけの生活で現金がないとなったら、
ドロボウさんが入らない限り、どちらかがハンニンに
決まっているもの。
 大抵は私の失念だったことでケリガつくのだが、
どうしても思い出せないと「何かに使わなかった?」と、
夫を疑うことも確かだ。

 大して役にも立たない、ケンカの火種にもなりかねない
こんな家計簿、やめたほうがいいかしら^^;;.。

公園で2006/05/11 16:37

 
 公園の大きな広場を横切って歩いていた時、なぜか足元に
野球のボールがあった。
 「アレ?何でここにボールが」つま先でポンとボールを
蹴ったのと横の方から4年生位の少年が近づいているのが
見えたのと同時だった。
 「アラ~ごめんなさい。あなたのボールだったの?」
慌ててボールを拾い、5メートルほどに近づいた少年に
向かって投げた。彼は受けて仲間の方に帰った。
 私がボールを蹴ったのを見ていたはずなのに怒らなかった。

 「ボールをとって下さ~い!」と叫ぶか、
 「蹴っ飛ばしちゃだめ~~!」
 「何でボクのボールを蹴っ飛ばすの!」
 更には「クソばばあ!」でも
 こんな時、昔の子供は黙ってはいなかったような気がする。
勿論お礼も言わず 終始無言のままだった。

金に糸目のお買い物2006/05/14 21:12

  
 買い物に出た。
 もともと、ブランド物とは縁のない生活で殊に年金生活に
なってからは洋服と言えるほどのまともな洋服を買ったことがい。
 洋服売り場の何処にどんなものがあるかも分からないほど
デパートにもご無沙汰だった。
 丁度帰省中の娘に同行してもらい、ちょっとした
お出かけ用に洋服を一枚、買うことにした。
 心強いアドバイザーを得た気分で
「久々だから今日の買い物は金に糸目をつけない!」と
言って、娘の失笑を買いながら街へ。

 あれでもない、これでもない、これよりはあっちの方がと
歩き回り、楽しい迷いの末、スカートと、ジャケットを決めた。
さて支払いの段になって、
 「あなた、お金持ってる?」
 「持ってるわよ」
 「2万円貸してチョウダイ」
 「は?」 娘が怪訝な顔をしている。

 帰りの車の中、「糸目をつけないと言った割には財布に
お金が少なかったのでは?」と娘に言われ大笑い。
 それから、この「糸目」って何?という話になって、
「穴の開いた古銭の時代に紐でも通してそれに印とか・・・」
なんて、したり顔に言って
帰宅後検索してみたら全然違っていたというお粗末な
お土産つきの買い物日でした^^;;;



参考:《金に糸目をつけない》
 凧の揚がり具合を調節するために表面につける糸を
「糸目」といいます。
 この糸目をつけないとたこがどんどんあがっていくので 「金に糸目をつけない」=「資金の制限がない」とい意味になりました。

今日の散歩は森へ2006/05/16 18:08


 散歩の足を伸ばして森に入る。
新緑の滴る中、鶯の声を聞きながらゆっくりと一時間かけて
沼を一周。
 斜面の下の湿地に赤紫の九輪草が見えた。五重の塔の上にある九輪に形が似ていることからこの名前がついているそうだ。

 ギャッ!足元に蛇が!連れは2m.はあったというが?
人もビックリ、蛇もビックリ、すぐ草むらにいなくなった。
 写真を撮りたかったな~~。

 森から降りて家までの道のりが30分ほど。
少々草臥れ気味に歩いていたら、丁度12時にうどん屋さんの前に来た^^。
天ぷらざるうどんを食べました。

お国ことば2006/05/17 22:12

 今日の新聞に大阪関西弁の「じゃまくさい」は「煩わしい」「面倒だ」の意味とあったのでびっくりした。
 目の前で「じゃまくさい」と言われたら「あなたが邪魔です」と解釈し気分が悪い。
 お国ことばは味わいがあって、近頃は見直されたりするが、意味が全く違ってしまうものもある。 

 子供が小学生の時、地元(仙台市)生まれの先生が転校生の「ものもらい」を見て「バカだな」と言ったところ
親が子供をバカ呼ばわりはなんだと抗議したことがあった。
 私もそのとき初めて「バカ」を知った。私の生まれた秋田では「ホイド」という。
 ところが、お隣の青森では「ホイド」は乞食のことである。
あれれ?乞食はモノモライですよね。ややこしい^^。

 秋田の美容院での話し、東京で修行時、雨の日のお客さまに「髪、よごれましたね」と声を掛けてマスターに酷く叱られたことがあったそうだ。
秋田では濡れることを「よごれる」という。 

 ふむふむと納得してしまう方言と使いながら可笑しいと思うものもある。
 私が普通に使っているゴミを「なげる」もかなり面白い。
 ゴミは投げないで捨ててください。

ペンペン草2006/05/20 21:38

 

 ペンペン草は春の七草のナズナのこと。さやが三味線の
ばちに似ているからという。
 道端に見つけて遠い昔を思い出し、さやの部分を千切れない程度に引きさき、耳元で振るとさやがお互いに触れあってサラサラと昔と変わらない優しい音がした。
 子供の頃 「ガラガラ」と言っていた。

 あの頃は身近な野の花をおもちゃ代わりによく遊んだ。
ささぶね、シロツメクサの首飾りや冠、松葉の綱引き、
むくげの花びらの元を裂き、鼻にくっつけて「トサカ」と喜んだり、
オオバコの穂を咥えて 根元をまぶたに差して 
お互いの顔に吹き出したりした。

 大葉の形をしたウラが白い葉っぱ、あれは何の葉っぱだったろう。
 円陣になり、誰にも見えないように葉っぱを折ってそれを前歯で噛んで模様をつける。
 終ると両手に挟んで「マルタリ ツケタリ ウマボタリ いち、にのさん!」とおまじないのようなことを言って一斉に出す。
 誰が一番綺麗な模様をこしらえたか、、皆で、これがいい、
あれがいいと選んだ。
 こんどこそ一番になろうと、工夫を凝らしては何度も挑戦した。

 野の遊びの中で色々なことをイメージし、創造をする力が
培われていたのかもしれない。